「聖公会の多様性と一致の危機」

わたしたちの聖公会は多様性と(の)一致を特徴としています。いろいろな国々やそれに伴う文化、言語、習慣等を抱える聖公会がそれぞれの地域でそれぞれの地域にふさわしい信仰を表わしていくためには当然のことと言えるでしょう。規則で縛るのではなく、最低限の信仰的原則を守る限り、その多様性と一致は保たれるのだというのが聖公会の伝統だったように思います。

ところが、最近その多様性と一致のバランスが崩れかけています。殊に最近の、アメリカ聖公会における、同性愛を公言する一女性司祭の補佐主教への主教按手は全聖公会に大きな波紋を投げかけています。カンタベリー大主教はその按手式をしないようにアメリカ聖公会に警告を発していました。しかし、結果的にアメリカ聖公会は按手式を執行しました。

本来ですと、カンタベリー大主教といえども他管区の事柄に口をはさむことはできないのですが、この件については以前から全聖公会的な会議において、世界中の聖公会の教会で、ある程度の理解が得られるまではそのような按手はしないようにと話し合われていたのです。しかし、今回のような結果に至ってしまいました。カンタベリー大主教はアメリカ聖公会に対してのある種の制裁として、アメリカ聖公会は全聖公会の公式な会議等においてはメンバーとしてではなく顧問的な立場で出席すべきであると提唱しています。

アメリカ聖公会の多様性と、全聖公会の霊的指導者として一致を願うカンタベリー大主教との不一致です。多様性は認められなければなりませんが、全聖公会的な理解も一致のためにはまた必要なのであり、大変厳しい問題です。