去る4月7日、東日本大震災の救援物資を運んで仙台を訪れた時、東北教区のレクイエムに参加させていただく機会がありました。教役者の名前が読み上げられましたが、その中に中部教区にゆかりの深い司祭の名前がありました。J・G・ウォーラー司祭です。ウォーラー司祭が東北教区の福島で働いておられたことはうっすらと記憶していたのですが、東北教区のレクイエムで名前が覚えられていることを改めて知り、嬉しく思いました。来日したウォーラー司祭の最初の任地は福島だったのです。東北教区最初の聖公会宣教師でもありました。
そのウォーラー司祭が長野に来ることになったのは当時の地方部制の変更によるものでした。それまではイギリス聖公会SPGが東北地方の宣教を行っていましたが、アメリカ聖公会がそれを行うようになったのです。カナダ聖公会のウォーラー司祭はSPG系ですので、それを機に福島を去り長野に宣教の場を移しました。福島での伝道は2年足らずでした。長野でのウォーラー司祭の働きは改めてわたしが述べるまでもありません。神様のなさることは大変不思議です。
歴史に”もし”はないと言われますが、もし、ウォーラー司祭がそのまま福島で働いておられたら東北教区はどうなっていたのか、中部教区は、特に長野はどうなっていたのか。わたしは今回仙台を訪問させていただき、東北教区と中部教区との関係というものを改めて考えさせられたような気がしました。一見何のつながりもない教区同士に見えますが、このようにつながっているのです。今回の震災でわたしたちが東北教区を支援するということは、そのようなつながりの延長線上にあるとも言えるのではないでしょうか。