去る4月16日から22日まで、“第2回世界聖公会平和協議会”が沖縄で開催され、参加してきました。「東アジアにおける平和と和解に向けて」の主題のもと、日、韓、米、英、加、豪、フィリピン、アイルランドから約80名の参加者がありました。講演、フィールド・トリップ、グループ討議を通して、東日本大震災のこと、原発問題のこと、憲法のこと、沖縄のこと、朝鮮半島の統一問題等々、学んだり話し合ったりしました。盛りだくさんの内容で少し消化しきれない部分もありましたが、沖縄という場で平和についていろいろ考えさせられました。
協議会声明が近いうちに公表されることと思いますが、是非お読みいただき、緊張状態にある東アジアの平和についてお一人お一人が考えていただければと思います。わたしは沖縄にはもう何度も行っていますが、基地を抱える沖縄の状況は一向に変わっていません。日本政府は4月28日、いわゆる「主権回復の日」の式典を開きましたが、どんな理由をつけても、61年前に沖縄が本土の「主権回復」の犠牲として日本から切り捨てられたことは紛れもない事実です。
そして、1972年に返還はされましたが、ご存知のように基地はそのまま残され、なおかつ、日米地位協定によって不平等は依然として続いたままです。そのような状況の中で「主権回復」はどういう意味を持つのでしょうか。沖縄に立つとその矛盾がよく見えてきます。皆様にも是非沖縄に行っていただいてその空気を肌で感じていただきたいと思います。沖縄から日本や世界を見るということは「小さな者」の視点から日本を見るということなのです。そしてそのような視点はイエス様の視点でもあるのです。