去る3月1日、東北教区主教座聖堂仙台基督教会の礼拝堂聖別式に行って来ました。東日本大震災の被害のため取り壊されていた礼拝堂がようやく再建され、聖別式の運びとなったのでした。当日は他教区や海外からの出席者もあり、礼拝堂に入りきれないほど多くの方々が集い、加藤博道教区主教司式により聖別式が執り行われました。
説教者の越山健蔵司祭は、「礼拝堂は出来たが、教会は建物ではない。ここに信徒が集い、礼拝や交わりを通してお互いに愛し合うということがなければ教会は存在しない」と語られ、信徒の一致を強調されたのが印象的でした。
思い起こしますと、震災直後に仙台を訪れたとき、聖堂内部は埃にまみれ、壁には亀裂が入っていました。危険な状態ということで礼拝堂を閉鎖し、会館で礼拝を行っていたのでした。わたしも何度か会館での礼拝に参加させていただきました。
礼拝堂再建にはいろいろな意見があったと聞いています。震災復興がまだまだなのに礼拝堂を建てるのか。復興が先ではないか。時期尚早である…等々です。しかし、主教座聖堂の再建は震災復興の目に見える一つのしるし、また、希望でもあり、教区一致の象徴でもあると思うのです。大きな苦難を経験された東北教区の皆様が祈りと交わりと奉仕の場である主教座聖堂を再建し、その聖堂が震災復興の核となっていくとしたらこれこそ神様が望んでおられることではないでしょうか。そういう意味でも礼拝堂が再建されたということは喜ばしいことです。
どなたかが、これからが大事だと言っておられました。私もそう思います。この立派な聖堂が祈りと交わりと奉仕の“垢”がどんどんつくようになることを願っています。東北教区に祝福がありますように。