『受けるより与える方が幸い』

クリスマスはキリスト教の大切なお祝いですが、今では日本の子供たちに人気のある行事になり、季語としても定着しています。復活日は初代教会の時から守られていましたが、クリスマスが祝われる様になったのは、4世紀頃からと言われています。初代教会の人達は復活された主イエスと共に生きる喜びがあり、主イエスの誕生日を正確に知って、祝う必要性を感じなかったのだと思います。100年程前までは日本でも子供の誕生日を祝う習慣がなく、社会的地位の高い家庭の男の子だけの行事だったようです。日本のどこの家庭でも子供の誕生日を盛大に祝うようになったのは50年程前からで、戸籍制度や男女平等の意識が確立され、経済的余裕ができたこととも関係があります。
福音書はイエス様の誕生についてそれぞれ違った書き方をしています。マタイの福音書では 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(1・23)と旧約聖書との関連を記していますが、マルコの福音書は全く触れていません。ルカの福音書は 「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(2・6、7)と文学的に記し、ヨハネの福音書は「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1・14)と神学的に記しています。クリスマスは平和の主が私達の中に来られ、共におられることを感謝する、信仰的に大切な意味のある日であることが分かります。
20年程前、主イエスが生まれた町ベツレヘムを聖地旅行で訪れました。周辺の殆どの人達がイスラム教徒で、主イエスが生まれた家畜小屋の跡と言われる所は聖誕教会のドームの中央に保存されていました。現状では歴史を想起するのは難しく、むしろ主イエスはどこにでもおられるとの気持ちを強く持って帰りました。
私が生まれ育った新潟県の高田は雪が多く、クリスマス頃になると地面にも、木々にも雪が降り積もって、町全体が白く、音さえも飲み込んでしまう静かな町でした。私のクリスマスのイメージと言えば、カナダのクリスマスカードの絵そのままに、サンタさんがそりに乗ってプレゼントを運んで来ることを現実のこととして受け止めることができました。当時は衣食住が貧弱で除雪作業に苦労しましたが、サンタさんからプレゼントを貰うと、そのご苦労が良く分かり、心から感謝することができました。
現在は豊かになり過ぎて、サンタさんがプレゼントを選ぶのにも悩むようです。どんどん便利で面白くて新しい物がはんらんし、子供が家庭でお手伝いをすることもなくなり、余程のことがないと喜んだり、感謝することさえありません。以前、ある日曜学校のクリスマスでプレゼントをもらった子供が 「何だこんな物か」と、投げ捨てて帰ったのを見て心が痛みました。主イエスは「受けるより与える方が幸いです」と教えています。この言葉をサンタさんの姿の中に見出して、一人一人がサンタさんになって、今、一番プレゼントを必要とし、喜ぶ人のことを思い出して、受ける喜びを、与える喜びに変えて欲しいと思います。
司祭 パウロ 塚田 道生
(一宮聖光教会牧師)