6月の教区教役者レクイエムで覚える逝去教役者の中に、広瀬鋹子伝道師のお名前を見つけました。教区の資料では、1875年生まれ、1955年6月8日に、79歳で主のもとに召されたとあります。その他、「1902年に伝道師に認可、名古屋聖ヤコブ教会等でミス・トレントと共に働く」という記述がありますが、それ以上の情報はありませんでした。
ただ、ふと以前、カナダ、トロントにあるカナダ聖公会の資料室を調査した際に、カナダ聖公会の機関誌である『リヴィング・メッセージ』の中に、「Miss Trent and Mrs. Hirose」というタイトルがつけられた一枚の写真があったことを思い出しました。それは、1929年にカナダ、ヴァンクーバーで撮影されたもので、花束を持った広瀬伝道師の満面の笑みが輝く、忘れ難い一枚でした。さらに調べると、広瀬伝道師はトレント先生と共に、1929年6月から10月にかけてカナダへの修養の旅に出られていたこと、また帰国後に教区の各教会を訪問し、カナダでの経験を報告されていたことを伝えるトレント先生の手記を発見したのです。松本、新潟、長岡、稲荷山、長野の各地で熱情をもって、貴重な経験を語られる広瀬先生の姿が生き生きと描かれています。中でも、岡谷での報告会の記事には胸を揺さぶられました。
「岡谷には世界最大級のシルク工場があり、3、4万人の若い女性たちが働いています。H.H.コーリー司祭と夫人がこの地を宣教の拠点とし、彼女らのために教会(セント・バルナバス)を建てたのは、この地が必要とすることに応えたからです。夕方の集まりには約40人の工女たちが集まってきました。晩祷の後、広瀬さんは彼女たちに、彼女の幼い頃に経験した困難と、その後いかにしてキリストに召されたか、そして、『救い主のもとに来なさい』と愛情深く訴えたのでした。彼女たちはどれほど心を動かされたことでしょう!」
93年も前の中部教区には、船で海を渡って海外の地で豊かな経験をし、その後、中部教区のそれぞれの地にある者たちに熱い思いで証をし、主の救いを宣べ伝えていた女性の宣教者が確かにいたことを、私たちも覚え、そして倣いたいのです。