去る9月10日、野村潔司祭ががんのため逝去されました。63歳でした。一昨年肺細胞腫を患い、大きな手術をしましたが、無事に乗り越え復帰されました。しかし、今年に入り肺にがんが見つかり抗がん剤の治療を行い、更には食事療法などの治療を試みていた矢先の逝去でした。
野村司祭は1980年から名古屋学生(青年)センターにおいて中部教区での働きを始められました。野村司祭と言いますとすぐに学生センターが思い浮かびます。センター活動を盛んにし、現在の建物を建築したのも野村司祭の時でした。センター活動の性格上、社会的な働きが多かったと思いますが、それは野村司祭が教会の働きとして目指したものでもありました。
天皇制のこと、部落差別問題のこと、沖縄のこと、フィリピンとの関わり等、これらの活動は今では当たり前のように教区内に位置づけられていますが、当初はなかなか理解が得られず、教区会などではかなり議論があったことを記憶しています。野村司祭が忍耐強くこれらの活動の必要性を説いていたことを覚えています。
また、教区の組織的・行政的な働きに対しても野村司祭の手腕は発揮されました。かつての宣教事業委員会の立ち上げ、そして、現在の「運営会議」体制も野村司祭が中心になり作り上げたものです。
しかし、野村司祭の働きは社会的なこと、組織的なことだけに限られていたわけではもちろんありません。牧会者としていくつかの教会の牧師・管理牧師をされ、信徒や教会に関係する人たちに大変丁寧に関わって来られました。また、教誨師という細やかな配慮が求められる働きにも長年にわたり誠実に関わって来られました。
野村司祭の働きに感謝し、魂の平安を心よりお祈りします。