見よ、神の幕屋が人と共にあり

 2月8日から2泊3日、中部教区主教座聖堂を会場として、「中部教区・京都教区合同教役者会」が開催されました。合わせて30名の聖職者たちが一同に会し、豊かな恵み多き時を共に過ごすことができました。
 主教アワーでは、〈聖書における『天幕』理解と「人間性の回復」〉というテーマでお話させていただきました。創世記、出エジプト記から、福音書、ヨハネ黙示録に至るまで、通貫するメッセージは「天幕」性の大切さであった。聖書における「天幕」とは、人が神と出会う場であり、共生の場、不正義への抵抗の場であった。旧約の神から新約のイエス・キリストに至るまで、神殿を立てよと命じられたことは、ただの一度もない。固定された神殿の維持に固執する姿勢から、もう一度原点に立ち返り、「天幕の霊性」の回復、「天幕的な在りよう」について、ぜひともこの機会に考えたい。
 聖職のみなさんは熱心に質疑くださり、さらに深めてくださいました。「神は今日、どこに天幕があることを望んでおられるのか」を問い続けること、天幕とは、箱(建物)のことではなく、人(私たち)のことではないか、という視点も確認されました。
 最後は、主教座聖堂での聖餐式でした。両教区の聖職団が共にささげる祈りには聖霊の力をこの身に感じ、それは感動的ですらありました。天幕を教役者の働きだと理解すると、私たちの両教区には40張近い天幕が与えられていて、それぞれ必要とされる地に派遣され、天幕を張っている、ということになるのです。
 「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となり、目から涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21章3~4節)