昨年末、中部教区センターに、米国からあるメールが送られてきました。
「私は、1919年にラブラドールから来日し、岡谷の聖バルナバ教会創建に貢献したカナダ聖公会の宣教師、ホリス・ハミルトン・コーリーの孫です。コーリーは、7歳の息子パーシヴァルを脊髄髄膜炎で亡くし、養女のグレンフェルも同じ病気による脳損傷で障がいを負いました。これらの病気のため、彼は聖バルナバ教会の創建と献堂式を終えた後、ついに日本を離れました。彼と家族が横浜からハワイ・ヒロ行きの蒸気船に乗る前日のイースターの夜、彼は横浜墓地のパーシヴァルの墓前で夕の祈りをささげました。1941年12月7日、彼はホノルルのエピファニー教会で奉仕していましたが、日本軍の爆撃の後、日本人が安全に自宅に戻ることができるようになるまで、何日も教会で日本人の市民を保護しました。
私の母メアリー・エリザベスはパーシヴァルの妹で、1924年10月に大阪で生まれました。母は戦争中にホノルルに駐留していた軍人である私の父と結婚しました。父は義父のホリス・コーリーに感化され、神学校へ進みました。私も父に倣い聖職に就きました。聖バルナバ教会が今も残っていることを知り、大変感謝しております。祖父が創建を手伝った教会をいつか訪れたいと思っています。米国聖公会退職司祭、ジョナサン・B・コフィー」
Jonathan Jr Coffeyという孫がコーリー司祭におられることは、岡谷聖バルナバ教会の90年史に掲載された拙論、『ホリス・ハミルトン・コーリー司祭の足跡』(2018年)の注記にも書いていました。しかしながら、連絡先などはわからず、コンタクトは一切取れていませんでした。今、こうして、岡谷の地での宣教開始から100年という時間を超えて、奇跡的に福音の物語がつながることに、心が打ち震えるのです。
