〝ともしび〟に現職として執筆させていただくのは今回が最後になります。3月31日、定年退職を迎えます。想い起こしますと1976年4月に実習聖職候補生として名古屋聖マタイ教会に赴任してから足掛け44年、中部教区で働かせていただいたことになります。
その間、勤務した教会は定住教会としては8教会、管理を含めますと20教会になるでしょうか。そして、最後の10年は教区主教として働かせていただきました。すべてにおいて十分な働きができたかどうかは分かりませんが、この小さな器を神様の働きのために用いていただいたことは感謝以外の何ものでもありません。今までの皆様からのお支えに心より感謝申し上げます。
わたしは現職を退かせていただきますが、西原廉太司祭が次期の教区主教に決まり、西原主教のもと−もちろん主教だけではなく教区の信徒・教役者みんながその役割を担うのですが−中部教区の礼拝・宣教・牧会の働きがますます豊かにされますよう祈っています。もちろん、わたしも退職聖職として可能な限り協力をさせていただきたいと思っております。
西原主教の教区主教就任は中部教区の礼拝・宣教・牧会の働きに大きな変化をもたらすことになるでしょう。教区主教としての働きがわたしまでの主教の在り方とは異なってくると思われるからです。具体的な変化はこれからのことになると思いますが、信徒も教役者も意識を変えその変化に対応していかなければならないでしょう。
そういう意味で、西原主教の就任は中部教区に新しい方向性を与えるものであり、聖霊の導きがそこにあるのです。ですから、かねてから懸案であった教区組織の変革もためらうことなく思い切って行っていいのではないでしょうか。
また、管区的には現在の教区制についての在り方に問題提起がなされています。「伝道教区制(仮称)」という考え方も主教会から出されていますが、今年の日本聖公会総会の大きな議論になってくるのは間違いないでしょう。中部教区として教区制の課題にどう向き合うのか、それも教区のこれからの在り方に深く関わってきます。
しかし、いろいろ課題があっても大事なことは、どんなに組織や体制が変わろうとも神様へのわたしたちの信仰は変わらないということです。教会は組織ではありません。一人一人の信仰があるところに教会があります。ですから、わたしたち一人一人の信仰をしっかりと保ちましょう。難しいことではありません。わたしは、礼拝も宣教も牧会も何か特別なことをしなければ前に進まないとは思いません。むしろ、信仰的に基本的なことを大切にし、一人一人の小さな魂に、また、一つ一つの小さなことに心を向けること。それが宣教や牧会の基本になるのであり、そこに誠実で丁寧であることによって、その先の宣教や牧会の新たな展望が見えてくると信じるからです。
イエス様の働きはガリラヤ地方における小さな働きでした。しかし、その小さな働きこそが父なる神様の偉大な働きだったのです。各個教会のごく小さいと思われる活動や関わりを大切にすること、それが教区、教会の更なる活性化につながるのです。
主イエスの祝福と恵みが皆様と共にありますように。
主教 ペテロ 渋澤一郎