横浜教区の三鍋裕主教様の定年退職を受け、4月1日から横浜教区の管理主教を委嘱されました。中部教区主教が横浜教区管理主教を務めるのは植松従爾主教様以来40年振りになります。次期教区主教が按手・就任されるまでの管理となります。
歴史をご存知の方はお分かりかと思いますが、中部教区は教区(当初は地方部)が成立するまでの間、当時の日本聖公会の宣教の区割りで言いますと南東京地方部(横浜教区の前身)に属しており、英国聖公会主教の管轄のもとにありました。
日本聖公会における英国聖公会の第2代目の主教であったビカステス主教は岐阜や名古屋、大垣に堅信式などのために来ておられます。また、濃尾震災の折には岐阜にも視察に来ておられます。更に、今年、礼拝堂聖別120周年を迎える長野聖救主教会の聖堂はビカステス主教の後任であるオードレー主教によって聖別されました。オードレー主教も教区内の各教会で堅信式を行っています。
その後、1912年(大正元)に中部地方部が設立され、南東京地方部から独立しましたが、どういうわけか中部地方部主教の紋章(印)は南東京地方部主教の紋章とほとんど同じです。南東京地方部主教の紋章にカナダを代表する木である〝かえで〟のマークが入ったものが中部地方部主教の印です。現在まで変わっていません。地方部設立時にどうして新しい紋章にしなかったのかは分かりませんが、中部地方部(カナダ聖公会)が南東京地方部(英国聖公会)から分かれて出来た教区であることを銘記するためだったのかもしれません。
このように中部教区と横浜教区とは様々な点でつながっていることを教区の皆様にも知っていただければと思います。