〝譲渡令書〟

一昨年も触れましたが、岐阜市の「岐阜空襲を記念する会」による「子どもたちに伝える平和のための資料展」が今年も岐阜市・メディアコスモスで開催されました。今年は「お宮さんもお寺さんも火に追われた〜岐阜空襲のときの神社・お寺・教会」というテーマで展示が行われ、戦前の岐阜聖公会の建物疎開に関する資料も展示されました。

実は、相原太郎聖職候補生が教会の事務室から当時の強制疎開の命令書である「譲渡令書」を発見し、その写しが展示されたのです。そういう命令書が残っていること自体大変珍しいそうで、岐阜新聞や京都大学の関係者も関心があるようです。

そういえば、わたしが岐阜の牧師時代、小笠原主教様から教会の強制立ち退きの話を伺ったことがありました。当時、神田町にあった教会が空襲に備えるため強制的に立ち退きをさせられ、美濃太田に疎開したということでした。県の命令なので立ち退き料など一銭もなかったと言っておられたのを記憶しています。

譲渡令書は岐阜県知事名で、「(岐阜聖公会に係る)建築物ハ防空疎開事業施行ノ爲必要ニ付…岐阜縣ニ譲渡スベシ…防空法…ノ規程ニ依リ命令ス」というものでした。令書の日付が4月25日で、5月5日までに譲渡すべしというもので、極めて短時間での立ち退き命令です。その後、7月9日の空襲により岐阜市の中心部は灰燼と化し、約900名の方々が命を落とされました。

いざ戦争になれば一切の個人的な状況は配慮されず、すべてが「お国のため」に犠牲にされます。時代が変わってもその状況は変わらないでしょう。戦争を知らない世代が人口の8割以上を占める時代になりました。戦争が起こったらどうなるのかということへの想像を大いに働かせ、そうならないように努めなければならないのです。

主教 ペテロ 渋澤一郎