先日、韓国に行ったときのことです。高校卒業で離れ離れになり、その後探し続けていた親友とやっと電話がつながりました。彼を通して、他の同窓の友人たちの近況も聞くことができました。さらに今回、大学の親友にまで会うことができました。彼らと話ができたのは、1993年の卒業以来ですので、約20年ぶりのことです。電話一本ですぐ会えたのに、何故こんなにも会うのが難しかったのか。何故こんなにもその道のりは遠かったのか。
4年間の大学時代は、私の人生の花と言える時期です。信仰を通して交わるという初めての経験、その中で築いた親友との格別な友情、友達の狭い部屋に上がり込んで文字通り体をぶつけ合いながら過ごした貧しい暮らし。時には友人の痛みに深く関わり、時には少し離れて見守りながら、お互いに支え合った時期。出会いと別れ、慰めと励ましを共に経験した時期でした。
親友と再会している内に、学生時代にお世話になった沢山の顔が目に浮かんできたのですが、その中でも特に二人の先輩を思い出しました。人生の目標が明確ではなかった私に、信仰の灯火を点けてくれた先輩です。その一人は、イエスは生きていて私を愛しておられることを私のこの胸にしっかりと気づかせてくれた人です。もう一人は、大学職員として就職した後、全てを捨てて牧師の道に進み、さらに詩人へと変貌を遂げながら、素敵に生きていた人です。すでに二人とも神様のもとに旅立ってしまったのに、「ありがとう」の言葉を直接伝えることができませんでした。豊かではなかった時代、本当の兄弟姉妹のように後輩の面倒を見て、食べ物を用意してくれた先輩たち一人一人の顔が浮かんできます。希望が見いだせず、暗く、袋小路に迷い込んでいた私に、柔和な表情を一変させて鬼の顔になって怒鳴ってくれた先輩たち。「こんにちは」ではなく「幸せでね」「幸せに生きるのよ」と、挨拶する人たちでした。
さて、大学4年間、一緒に暮らしていた友人の一人にインムクという名前の人がいました。インムクは、1年生の時から偶然同じ下宿の同じ部屋を使うようになって以来の親友です。ある日、インムクの実家から連絡がありました。「弟が死んだ」と。インムクは受話器を下ろすと、急いで家に向かいました。私も翌日、何も考えずに彼の実家に向かいました。しかし若かった私にはインムクに慰めの言葉を言うこともできません。とにかく、ただインムクの近くに座って顔を見ていただけでした。その時のインムクの一言、「弟とあまり話ができなかったことを後悔している」の言葉は、今でも耳に強く残っています。私たちは顔と顔を合わせて出会い、話を聴くことを大切にしようとしていたはずなのに、自分たちにはそれができていない。私自身も、友人が辛い時に何もできない自分に、至らなさを感じていました。ところがインムクは、後になって、「大変だったときに、一緒になって座っていてくれた人」と、私のことを表現してくれたのです。
今回、久々の再会を通して、あの頃を思い出し、出会うこと、交わることとは何かを振り返ることができました。神様は、あらゆる方法で、出会いと交わりを通して和解の業を成し遂げようとされています。倒れて立ち上がることも困難な人たちと共に、まず一緒に座ることのできる私でありたいと、今、改めて思っているところです。
司祭 イグナシオ 丁 胤植
(長野聖救主教会牧師、稲荷山諸聖徒教会管理牧師)