『青年は荒野をめざして…』 

好きな曲だけを集めて作ったMDを10年程前のある日、 職場で昼食のときにかけたらみんなシーンとなってしまった。 別れとか旅立ちに関する曲が多かったせいだろうか。 それから半年後にその職場を去ることになるとは、 そのときの私は夢にも思わなかったのだが。 この、 MDの曲目は以下の通りである。 ①時代、 ②贈る言葉、 ③雲よ風よ空よ、 ④青年は荒野をめざす、 ⑤若者たち、 ⑥翼をください、 ⑦遠い世界に、 ⑧思い出の赤いヤッケ、 ⑨神田川、 ⑩精霊流し、 ⑪悲しくてやりきれない、 ⑫昴、 ⑬君といつまでも、 ⑭いちご白書をもう一度、 ⑮名残雪、 ⑯花嫁…
悲しみと希望が交錯する青春、 別れ、 旅立ち…こういう曲を好んで聞いていた私がそれまでの場所から去り、 47 歳にして新しい人生へと踏み出していった。 青年ではなく中年の私が荒野をめざす、 定年を待たず荒野へと旅立った。
この夏休み、 ケネス・リーチという人の書いた 『牧者の務めとスピリチュアリティ』 (聖公会出版) という本を読んだ。 この本を読もうと思ったきっかけは 『神学院だより第50号』 に我が中部教区の神学生金善姫さんが書いていた報告である。 『第13回短期集中講座』 ~スピリチュアリティのこれまで・いま・これから~と題された文章を読みはじめてすぐにおや?と思った。 「最も印象に残ったのは、 牧会者がその多忙さの中でどのように霊的生活を維持するかという質問に対して…」 ケネス・リーチの答えである。 「愛、 祈り等のあたたかい領域を養わないと、 相手に大きな傷を与えることになる」 「相手を傷つけないために牧会者自身が休息を取る必要がある」。 この人の本をさっそくネットで注文したところ、 私の夏休みに間に合ったのであった。 猛暑の中で読み始めたところ私の心も熱くなってきた。 やたらと感情移入しながらの読書で本の中は鉛筆の線だらけになってしまった。 例えば 「神が貧しい者の側に立っているという事実は世間と妥協した教会から真っ先に追放された事実の一つである。」 「今日流行っている霊性は、 受肉した御言葉における、 また、 それを通した私たちの生命の変容よりも、 むしろ慰めと安心と内面の平安を提供する事に大きな関心を抱いているように思われる」。 私にとって印象的だったのは次の箇所である。 黙想的祈りに関して、 「荒野」 「暗黒の夜」 という二つのシンボルがキリスト教の伝統において繰り返し現れる。 この二つの象徴が示している行路は人に根源的な浄化と暗黒の出会いを求めているとリーチは述べている。 かつてイスラエル民族が、 旧約時代の預言者たちが、 そしてイエスが、 4世紀エジプトやシリアの修道士たちが荒野において、 葛藤し自分を浄化し神と出会ったのである。 そして暗黒の夜の中で人は神を叫び求める。 暗黒の体験をとおして私たちは自己崩壊の危機に瀕し、 はっきりと見えるようになる。 激しく愛するようになる。 真の自己統合へと向かう。 『「荒野」、 つまり、 自身の根源的で独自の孤独を見つけることが必要である。 そうすることによって、 私たちは他者の中にある 「荒野」 に出会うようになる。』
今日は倒れても再び起きあがり歩き出す。 荒野へと向かう。 自分自身の中の沈黙と孤独、 葛藤と苦しみにおいて神が語りかけてくださる。 東の空から希望の太陽が昇り、 再びまちへ、 人々の中へ帰っていく。 聖霊に突き動かされて…

司祭 イサク 伊藤 幸雄
(一宮聖光教会牧師)