この夏、勤務する学校の生徒の一人が急逝しました。前日まで、保育園でのボランティアに喜んで参加しており、翌日もまた来るねと言ったまま、同日の深夜に突然亡くなりました。通夜と告別式に参列しましたが、ご両親、特にお母様の憔悴した様子は痛々しく、同級生たちもあまりに突然の別れという現実を受け入れがたい様子でした。
そんな中、今度はわたしの親戚の高校生が海水浴中におぼれ、行方不明になるという事件が起きました。おじが心配して電話したところ、両親は口もきけない状態だったということで、わたしとしてもただ祈るしかありませんでした。まさかこんなことになるなど、本人を含め誰一人考えていなかったでしょう。あの日に海になど行かないでいてくれたら、と思わないではいられません。
このような、未来のある子どもや青年の突然の死に接する時、わたしたちにできることは、「もし…だったら」という、言っても詮無いこととは分かっていながらあえて言わずにはいられない、その言葉を繰り返すことだけです。この、永遠に答えのない問いの循環に留まらざるを得ないわたしたちは、命にまつわる事柄に関して人間がいかに無力であるかということを思い知らされます。
また、わたしの生徒の突然の死は、単なる悲しみだけではない別の問いをわたしに突きつけました。赴任からまだ4ヶ月弱という期間の中で、残念ながら彼と個人的に言葉を交わした記憶がないのですが、しかし彼と自分とは礼拝の時間を通して毎週顔を合わせていたはずです。彼がこんなにも早く召されるのだったら、彼にもっと語るべきことがあったのではないだろうか。一体自分は、チャペルで何を語っていたのだろうか。そして彼はそれをどう聞いていてくれたのだろうか。
8月というのは日本にとって特別な月で、戦争、ことに日本による侵略や、原爆の投下や空襲によって、多くの命が失われたことを思い起こす時です。身近な一人が失われたことの大きさにショックを受ける中で、戦争によって失われた一つ一つの命も同じ重みを持つことを改めて感じさせられました。年々戦争の記憶が薄れ、戦争が可能な「普通の国」になろうとする力が強く働いているように見える状況の中でわたしたちがすべきことは、「もし…だったら」という空しい思考実験を繰り返すことではなく、「今語るべきこと」を今、もしかしたら明日はもう会うことができないかも知れない人に向かって語ることではないかと思うのです。
思いもかけぬ突然の別れを強いられた人々は、きっと「語られぬ言葉」をたくさん持っていたはずです。その「語られぬ言葉」をわたしたちは聴き、そして語らなければならないと思います。
「わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。』」(エレ1・6~8a)
司祭 ダビデ 市原 信太郎
(立教池袋中学校・高等学校チャプレン)