「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです」(1コリ2・7)
神の御国は永遠に語り続けられるからこそ意味があるものだと思います。聖書はファンタジー的な要素をたくさん含んでいます。そのファンタジーは聖書を物語として聞かせるときに非常に大きな感動をもたらします。
第2回世界聖公会平和協議会があって沖縄に行ってきました。沖縄は美しい自然環境の中に大きな痛みを抱いている、とても切ないストーリーの物語の世界として比喩することが出来ます。今回の沖縄の旅の中でも、いつもと同じく語り部(平和ガイド)さんがお話の風呂敷を解いてくれました。沖縄の緑溢れる自然景観の裏にどのような苦しみがあったのか、どのような歴史が広げられて、どのような神様がどのような命を造られて彼らと共に生きていたのか等について…。
韓国の古典童話には虎がよく登場します。子どもがねだったり泣いたりすると、今も不思議ながら大部分の韓国の親は「虎が来てワアオするよ」と言い、子どもが泣くのを止めています。虎が出てくる韓国の物語は非常に多いですが、虎は単純に怖い存在だけではなく、山を守る仙人として自然と命を守る存在でもあります。
沖縄にもこれと似た存在があると聞きました。キジムナーという妖精です。沖縄には本土には無いガジュマルという木があります。キジムナーはその木に住んでいたそうです。ガジュマルは枝についているひげ根が下に伸びて派手な姿の太い枝になります。そして、その実は鳥やコウモリの餌になるので、その木自体が自然と命を守る象徴的な存在であることを感じさせられます。その木に住む妖精のキジムナーも、物語の中では悪戯っ児に現れる怖い存在でもあって、子どもの躾のため親たちによってその名前が使われています。キジムナーも単純に子どもにとっての恐怖の対象ではなくガジュマルと一緒に沖縄の命を守る神的存在だった訳であります。平和ガイドさんは、「戦争でガジュマルが燃えたとき、キジムナーも一緒に死んだと言われていた」と非常に寂しげに言いました。
沖縄を守って、山を守って、この地に住む人々を守る木の妖精が戦争によって人工的に作られた爆弾で燃やされ傷ついたとき、この地を守る妖精も一緒に死んだのかもしれないと、幼い心に傷を抱いているその子どもは、今は白髪の大人として、この地を訪ねてくる大勢の方々に心そのままを伝える平和ガイドになりました。
キリスト者として、わたしたちは聖書を読んでイエス様の愛を通して命の物語を語って、世の中に平和を妨げる艱難と逆境があっても(憲法改正問題等)、わたしたちの人生はそれを切り抜けて生きる価値があると伝え続けてきました。
沖縄のその子どもが今も希望を失わず平和を語り続けているように、たとえ弱い力しか持っていなくとも、小さな手を取り合うことによって、決して平和は消えないと歌い続ける勇気が欲しいと思います。
司祭 イグナシオ 丁 胤植
(長野聖救主教会牧師)