『愛への召命』

一九九八年の三月に私はそれまでいた職場を去り、四月、京都にあるウイリアムス神学館に入学いたしました。はるか昔のようにも、またつい昨日のようにも思えます。何気なく、そのころのファイルをめくっていますと、退職した職場の、上司からいただいた手紙が目に留まりました。「どうぞ、この世を愛の世界とするようお働きください」

手紙といっしょに、次のような印刷物が同封されていました。その一部をご紹介しましょう。
「自分の日常の業や 今までの仕事を通じ 新しき仕事に向かう時 そのものがある時 年老いた者や 病む者のために 自分のこれからの人生を賭けようとするものがあったら 素晴らしいことです でも それは勲章ではないのです 人はみな 人と共に力を合わせる為にこそ この生命は宿っています」
この手紙をいただいた頃の私は、この方に反発していて、そのお心を素直に受け取れないでいました。しかし、今改めて読み返してみますと、巣立つ私への暖かなお気持ちが伝わってきます。
この私は、神に生かされている。両親からいただいた生命を、今生かされている。いろいろな思いこみやこだわり。何より、私は自分の力で生きているという大きな考え違いを捨てるとき、それまで気付かなかった、陽の光にも似た神の暖かな愛の光が射してくるのを、感じることができるのです。
昨年の一一月、私の父が亡くなりました。心不全で緊急入院し、約二ヶ月後肺炎にかかり、遂に生きては家へ戻ることができませんでした。父の死後、生前に父と関わりのあった方達が弔問にいらっしやり、お話を伺うことができました。私の知らなかった父の姿が浮かび上がってきました。
通夜の日のことです。夕方になり準備も終わって、ほっとしていると、一組のご夫婦がいらっしゃいました。ご主人のお顔を見て、私は思わず「Aさん。お久しぶり」と声をかけました。彼は、「ああ、覚えていてくれたのですね」と一瞬、顔をほころばせました。「他の人たちには会いたくないので、早めにお焼香に来ました」とおっしゃいました。
今から一○年近く前、私たちと同じ団地に住んでいたこのAさんご夫妻の息子さんが殺人事件を起こしました。ニュースでも大きく報じられました。その後Aさんたちは引っ越され、家も売りに出されました。世間から隠れて、ひっそりと生きてこられたのでしょう。どんなお気持ちだったのでしょうか。
Aさんはこう言われました。「お父さんは心配して、よく電話をくださいました」
生前の父に対するわだかまりが次第に解けていきました。私の知らなかった父の生きざまがありました。
葬儀を通して、私は父との出会いを体験しました。父が残してくれた遺産、それは、人を思いやる心です。
改めて振り返ると、一連の出来事を通して、神様の深い愛のお計らいを感じます。悲しみの経験を通して、愛に生きよ、より深い愛に生きよと、優しく諭してくださっている神様のお気持ちを感じます。父よ、ありがとう。神様、ありがとうございます。
聖職候補生 イサク 伊藤 幸雄
(岐阜聖パウロ教会勤務)