牧会の基本が「訪問」にあることは言うまでもない。イエス様がその人を訪ねている。聖職者(教会)はそれを目に見える形で表現しなければならない。
しかし訪問が得意な場合はよいが、人にはそれぞれ得て不得手があるものだから、教役者だからといって簡単にできるものではない。私もいわゆるマメな性格ではないので、神学生の境から、卒業後いかに訪問するべきか困っていた。
2年生のときの夏期勤務でそれが解消した。大宮聖愛教会の斎藤茂樹司祭(後の主教)のところで勤務となった。同司祭と朝夕、礼拝をささげ、様々な仕事をやったが、その中に同師の訪問のやり方があり、それが私のその後の牧会のあり方を決めたのである。
斎藤司祭は古ぼけた1冊のノートを見せ、説明してくれた。それは最初の頁が1月1日、次の貢が1月2日、というふうで、366日ある。各頁は誕生・洗礼・堅信・結婚・逝去に分かれていて、1月1日にいずれかの記念日がある人の名が書き込まれている。2日以降もそうなっている。これだけ作るのは教籍簿を見れば簡単なことだが、問題はこのノートの使い方である。
同教会では中部教区の諸教会と同様、主日聖餐式でその週に記念日を迎える人のためお祈りしていた。同師は、誕生.洗礼・堅信・結婚・逝去を迎える人―逝去者の場合は関係者―あての5種類のカードを予め1年分作っていた。
私も始めた。訪問する動機ができるし、手渡して記念日のことを中心に話もできる。そして次の家へ。不在の時は郵便受けへ。カードには簡潔に「洗礼記念[○月〇日]おめでとうございます。次の主日の礼拝(○月○日)でお祈りいたします。ご出席ください。19△△年前橋聖マッテア教会」と印刷。「年に3回必ずその人を訪問できるよ」と斎藤司祭に言われたことを思い出す。
この方法はどの教会に行っても本当に助かった。訪問する方は「会える」、される方は「礼拝に出るよう勧められる」(カードの言葉だけで)。大体一週間に10枚くらい。地図で家を調べ、自転車で一回りしてくる。前橋は県庁所在地で広かった。雨や雪のときは市街地の人だけで、後は郵送となる。「郵送ぐせ」がつくとこの方法は意味がない。市外の人たちの場合は主としてバスであった。
あるときバスに乗り、教会に来ていない一人の男性(60代?)を訪ねた。挨拶しても黙って盆栽に水をやっている。「○○記念、おめでとうございます」。振り向きもしない。「持ってきたカードをここにおいていきますね」。バスに乗って帰ってきた。10数年後その人が教会で活躍していることを、転勤先の教会で知った。
家が分からない人の場合は勤め先の会社に持参した。「イラッシャイマセ」 と言ってくれる受付の女性に告げる。あわてて降りてきたその人は必ず次の主日礼拝に出た。会社訪問はよくした。
人数は増え、皆で宣教について考えた。教会の感謝献金もものすごく上がった。ささげた人の名を月報に載せるから、多い人はわずかずつでも5回おささげしていた。
訪問できないことがはっきりしている場合、信徒さんが礼拝の帰りに寄って渡してくれるよう頼んだ。それだけでも人と人との触れ合いがある。
最近よく思い出すことを取りとめもなく書いてみた。
継続は力である。
主教 フランシス 森 紀旦