『「自分の十字架を背負うこと」の意味』

岡谷聖バルナバ教会では、毎年、聖バルナバ日に近い主日を、「バルナバ祭」として特別な説教者や講師をお招きしている。今年は、東北教区、郡山の越山健蔵司祭に説教をいただいた。越山先生は、お話の中で、一冊の本を紹介くださった。福島県キリスト教連絡会が編集された、『フクシマのあの日・あの時を語る~石ころの叫び~』と題されたものだ。福島県の様々な教派の牧師さんたち16名が、一昨年の3月11日の大震災、こと、福島第一原発の爆発と、その後の放射能災害に直面して、どのような行動をとり、また何を体験したのか、という鬼気迫る証言である。

しかし、それらの多くは、あの未曾有の事態の中で、牧師たちがいかに勇敢に立ち向かったかという記録ではなく、あの時、牧師も、まずは自分や自分の家族の身を案じた一人の弱い人間であった、という悲痛なまでに赤裸々な懺悔の告白というべきものだ。もし、私が、あの場に立たされていたら、と思うと、言葉を失うばかりである。

この本の中で、ある牧師さんが記されていることは、このようなことだ。震災直後の主日礼拝を休みとし、信徒に伝えたところ、「こういう時にこそ礼拝しないんですか」と叱責され、赤面したこと。白河に避難した後に、安否を問う教団本部からの電話に対して、まだ福島にいると嘘をついたこと。避難できない教会の信徒を置いていってしまい、事実、信徒から「先生は、教会と教会員を見捨てて、自分の家族だけで逃げた」となじられたこと。

この牧師さんは、教団本部に嘘をついた時のことをこう書かれている。「電話を切った後、私はしばらくぼんやりしていましたが、心の中にペテロがイエスさまを裏切って、三度も拒んだ聖書箇所が浮かんできました。ペテロの気持ちが非常によく分かりました。あらためて自分は弱い人間だな、たいしたことないなあ、情けないなあと思いました。そして同時に、こんな私をイエスさまは、愛してくださり、救ってくださり、伝道者の末席に座すことを許してくださっていることに感謝しました。」

この福島の牧師さんたちが経験されたことは、この牧師さんたちにしか分からない、そして、今も私たちには到底分かりえない痛み、苦しみなのであろう。しかし、私たちもまた、私たちそれぞれの日常の中で、思わぬ出来事に直面し、戸惑い、茫然と立ち尽くしてしまうことがある。それぞれの十字架を背負わなければならない時が、必ずある。他者には決して理解できないような、それぞれの重荷を、それを「自分の十字架」として背負い、呻き、もがきながらも、なお、その十字架を担わなければならない時がある。

私たちもまた、それぞれの日々の十字架を背負う者だ。時には、途中で力尽き、十字架を下してしまうかもしれない。しかし、それでも、イエスさまは、私たちに、「日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と語り続けておられる。いや、そのように語り続けてくださっている。途中で力尽きてしまって、十字架を下さざるを得なかった者たちの無念さも、主イエスはしっかりと受けとめてくださる。そして、もう一度その十字架を担おうとする者に、主の深い慰めが注がれているのである。

司祭 アシジのフランシス 西原廉太
(岡谷聖バルナバ教会管理牧師)