A・C・ショー司祭と中部教区の関係と言いますと、すぐに思い浮かぶのが軽井沢のことです。軽井沢に第1号の別荘を作り、「軽井沢の恩父」とも呼ばれ、毎年、「軽井沢ショー祭」も開かれています。また、現礼拝堂もショー司祭が建てたものです。
このようにショー司祭と中部教区と言いますと軽井沢との関係だけのように思われがちですが、しかし、中部教区とはもっと深い関わりがあるのです。それは、中部教区最初のカナダ聖公会宣教師であったJ・C・ロビンソン司祭と、その3年後に長野で伝道を開始されたJ・G・ウォーラー司祭との関わりです。
ウォーラー司祭は自著「日本におけるカナダ人の伝道」において次のように述べています。「日本に来てから数ヶ月、ウォーラー夫妻はかつてのロビンソン夫妻のように、東京に滞在し、アーチディーコン・ショウ夫妻の助力で準備の期間をすごした。事実、ウォーラー師らは到着一ヶ月ショウ師の客として過ごした。ショウ師は伝道する都市を選ぶための援助を惜しまなかった。」(大江真道司祭訳)
ロビンソン司祭も自著の中で夫妻がショー司祭によって「暖かく迎えられた」ことを記しています。ロビンソン夫妻は2ヶ月ほどショー司祭のところに滞在し、名古屋に向かいました。ショー司祭が両師と同じカナダ人であり、先輩聖職であったから当然であるとしても、全く未知の国でこれから伝道を始めようとしていた両宣教師夫妻にとってショー司祭から与えられた暖かい配慮は大変心強いものであったに違いありません。このように中部教区前史におけるショー司祭の貢献は間接的ではありますが大きなものがあるのです。教区成立100年を迎えるにあたりそのことも覚えたいと思います。