東日本大震災から3カ月が過ぎましたが、まだまだ大きな爪痕が残ったままです。原発問題はあとからあとから隠された事実が明るみに出てきており、一体全体どのような終結に向かうのか全く不透明です。そんな中、管区の震災被災者支援プロジェクトが本格化して来ました。名称が「『いっしょに歩こう!プロジェクト』~日本聖公会東日本大震災被災者支援」と決まりました。このプロジェクトは単なる震災復興支援計画ではなく、支援も含め、日本聖公会としての宣教の新しい創造を目指す活動となるはずです。
思い返してみますと、1891年の濃尾大地震のあと様々な新しい働きが開始されました。被災した人々のため、名古屋にはロビンソン司祭によって幼老院が造られました。また、柳城短大・幼稚園も濃尾地震がきっかけとなって始められたと言ってもいいでしょう。岐阜では岐阜訓盲院(現在の岐阜アソシアと県立岐阜盲学校の前身)も地震のあとに始められたものです。石井十次が日本で最初の孤児院を作ったのも濃尾震災のあとでした。このように大きな災害が起こったあと、そこから新しい働きが必ず生まれてくるのです。災害は災害で終わるのではなく、そこから再創造が始まることを覚えたいと思います。
去る5月25日、退職聖職の林宏三郎司祭が心筋梗塞のため逝去されました。林司祭は直江津聖上智教会を定年退職の後も上田、小布施の教会を助けてくださり、最後まで司祭としての生涯を全うされました。わたしは林司祭の後任として高田降臨教会に赴任したこともあり、いろいろと教えていただきました。先輩聖職が神様に召されていくということは寂しいことです。林司祭の魂の平安をお祈りいたします。