「わたしの家は祈りの家と呼ばれる。」―ナザレでいただいた恵み―

 1919年、英国聖公会からエピファニー修女会のシスターが来日、1936年に日本聖公会ナザレ修女会は発会しました。その修院である三鷹のナザレ修道院に、20年程前、初めて伺った時から、玄関には母マリアとヨセフとの間に御手を開いて立たれる、少年イエス様の像。聖家族礼拝堂の扉を開けると、そこには修女の方々の祈る後姿がありました。
 ナザレ(修道院)でいただいてきた御恵みを言葉で言い表すことはとてもできませんが、一つあげるなら、それは日に7度、定刻に捧げられる礼拝(聖務時祷・オフィス)です。初めて修女様たちが聖堂の左右の席から交互に唱える詩編を聞いた時、聖なるものを感じ、声を出すのが憚られました。のぶ霊母様から「(むしろ大きな声で)よく聞こえるように唱えてください」と言われて、修女の方々と共に心を向けて唱えてきました。後になって、詩編の交唱が共同生活の中で整えられていくものとお聞きしました。そして、期節ごとに日々定められた聖歌の美しさ。(『ナザレ修女会の記憶』68頁)静謐の中から発せられるその歌は、今も私の深いところに響いてきます。
 復活日までの数週間は修道院で大変大切にされています。この期間に受け入れていただいたことは私にとって何と大きな恵みだったことでしょう。通常の時であっても、玄関を入って右手の事務所前のフロアが、話をして構わない場所だと教えていただきましたが、大斎節は大沈黙となります。自由に話せないと聞くと、何と窮屈な、と思われるかもしれません。しかし、ここに来る人は、窮屈と真逆の、自由と希望を見出すのだと思います。私は滞在させていただく度、「ここは祈りの家」だと感じ、まさに主がおられる、故郷ふるさとナザレのように思われました。
 修道院のエピファニー館は、静想日リトリートを守り、主の前に憩う場所として作られたそうです。エピファニー(顕現)とは、目に見えない神様の御旨が明らかに示されること。ナザレ修道院が、日々の働きに疲れ、苦しむ人を迎え入れ、休ませ、御恵みに目を開かせてくれる場所であったのは、一生涯を懸けて主の御足もとに座って御教えを聞き、従う足を止めなかった彼女たちの祈りによるのだと思わずにはいられません。
 唱えられていたアンジェラスの祈りにこうあります。「…どうかわたしたちの心に恵みを注ぎ、み子の苦しみと十字架をとおして復活の喜びに導いてくださいますように…」
 今年6月の閉院の時まで、修女の方々が、世界のため、教会のため、私たちのために祈り続けられた年月と、主のお苦しみを苦しまれ、復活の喜びに導かれていたお姿を思った時、ナザレに示された恵みとは、復活の希望だったではないか、と思い至りました。御恵みは決して絶えることがないと。私たちは受けた恵みを絶やさず繋いでいくように促されているのだと思います。
 ナザレ修道院で唱えた頌栄
「栄光は|| 父と子と聖霊に
 初めのように、今も||
 世々に限りなく」
 今、神様と共にいる。そしてこれからも。
 私は今、教会で同じ祈祷書の祈りを唱えます。この祈祷文がどうかナザレであったように生きた祈りとされますように。そしてナザレ修道院が、これまでそうであったようにこれからも、祈りの家であり続けることを祈り続けます。

司祭 マリア 大和玲子
(長野聖救主教会牧師)