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- 1873
(明6)
- 切支丹禁制の布告が撤廃される。
A.C.ショー師、英国教会福音宣布協会(U.S.P.G.)から派遣、初めてのカナダ聖公会出身司祭として来日。東京を中心に伝道開始。
- 1875
(明8)
- P.K.ファイソン師(後に北海道地方部主教)、英国教会宣教協会(C.M.S.)から派遣、新潟に伝道開始。
- 1876
(明9)
- 牧岡鉄弥師(後に司祭)、P.K.ファイソン師から受洗。
- 1882
(明15)
- P.K.ファイソン師、新潟を去る。
- 1887
(明20)
- 日本聖公会第1総会(大阪)。日本聖公会の組織成立。2月11日
旧・新約聖書全訳発行(1880年新約全書)。
- 1888
(明21)
- 弟、J.チャペル師(岐阜に来たイギリス人、後に司祭)英語教師のかたわら、曽我捨次郎師(後に司祭)と岐阜で伝道開始。
イギリス聖公会執事、兄、A.F.チャペル師、弟と交代し語学教師のかたわら自費伝道開始。5月岐阜市釜石町に講義所開設。
J.C.ロビンソン師、トロントのウィクリフ神学校伝道協会から派遣、カナダ聖公会司祭として名古屋で伝道開始。11月
- 1889
(明22)
- 明治憲法発布。信仰の自由が条件つきで公許される。
日本聖公会第2総会(東京)。以後、隔年開催。
- 1890
(明23)
- 名古屋は日本聖公会東京地方部に、岐阜は大阪地方部になる。
J.C.ロビンソン師とJ.M.ボールドウィン師、名古屋市下江川町に講義所開設。(後の聖ヤコブ教会)
また、名古屋市近郊の津島・一宮と、岐阜市近郊に伝道開始。
岐阜聖公会設立。岐阜市米屋町に仮聖堂落成。
大垣市本町に講義所開設。(A.F.チャペル師、教師を辞し本格的に伝道)
J.G.ウォーラー司祭、来日。カナダ聖公会の内外伝道協会(D.F.M.S.)から海外派遣された最初の宣教師。翌年3月に東北の福島へ赴任。
- 1891
(明24)
- 日本聖公会第3総会(大阪)。愛岐地区は大阪地方部となる。
濃尾大地震起こる。宣教師ら救援活動を盛んに行う。10月
岐阜鍼按練習所開設。(地震被災視覚障害者救済のため。後の岐阜訓盲院、訓盲協会)
A.F.チャペル師、正式にC.M.S.宣教師となる。
J.C.ロビンソン師、愛知県中島郡一宮町に講義所開設。(後の一宮聖光教会)
- 1892
(明25)
- H.J.ハミルトン司祭(後の中部地方部主教)、名古屋で伝道開始。名古屋市東片端町に養老院開設。
J.G.ウォーラー師、長野に着任。
A.F.チャペル師、大垣聖公会設立、大垣市本町に仮礼拝堂落成。
- 1893
(明26)
- 日本聖公会第4総会(東京)。長野地区は東京地方、愛岐地区は大阪地方になる。
聖ヤコブ教会設立、名古屋市南鷹匠町。名古屋市内数カ所と岐阜県安八郡安八と本巣郡北方に講義所開設。
J.G.ウォーラー師と曽我捨次郎師、長野県長野町、中野町、須坂町に講義所開設。
ミス・J.C.スミス来日。カナダ聖公会内外伝道協会派遣、医療宣教師(看護婦)。神戸で看護学校を開設。
碓氷峠アプト式軌道完成し信越線開通。(東京~直江津)
- 1894
(明27)
- 愛岐・長野地区は日本聖公会東京地方南部伝道区になる。
覚前政吉師(カナダ聖公会宣教師、カナダのトロントで執事按手)松本で伝道開始。
岐阜聖公会訓盲院設立(院長 森巻耳氏)。このころ、名古屋市内でも英語夜学校、貧民学校ほか開設。
ミス・E.M.トレント来日。カナダ聖公会から派遣された最初の婦人宣教師。
- 1895
(明28)
- F.W.C.ケネディ司祭来日。(カナダ聖公会宣教師、松本に定住)
J.G.ウォーラー師と牛山清四郎師、長野県稲荷山町に伝道開始。牛山師稲荷山に定住。
J.G.ウォーラー師と田口善之助師、長野県飯山町に伝道開始。
A.C.ショー師、軽井沢基督教会設立、礼拝堂聖別。「日本聖公会祈祷書」発行。
- 1896
(明29)
- 日本聖公会第5総会(大阪)。祈祷書公認。地方部制設立。
愛岐・信越地区は東京南部地方=南東京地方部(South Tokyo Diocese)になる。E.ビカステス主教。
ミス.J.C.スミス、長野市で慈恵医館、長野看護学校を開く。
J.M.ボールドウィン師、豊橋講義所開設。
水野功師、新潟県高田市馬出町に伝道開始。
- 1897
(明30)
- ミス・L.パタソン(カナダ聖公会自費宣教師)と市村ひで氏聖マリア伝道館開設。(婦人教育施設。長野県東筑摩郡松本町)
J.C.ロビンソン師、名古屋市横代官町に幼老院設立。(主任は、掛谷二策氏。幼児18名、老人12名を収容)
E.ビカステス主教、イギリスで逝去。後任はW.オードレー主教。
水野功師と億川八郎師、高田より直江津に移り伝道開始。
- 1898
(明31)
- J.G.ウォーラー師と曽我捨次郎師、長野救主教会設立、礼拝堂聖別。
ミス・M.M.ヤング、カナダ聖公会及びカナダ聖公会婦人補助会(W.A.)から派遣。名古屋市白壁町で保母養成開始。(後の名古屋柳城短期大学)
- 1899
(明32)
- F.W.C.ケネディ師と大久保直作師、松本聖十字教会設立。
柳城幼稚園開設。(園長ミス・M.M.ヤング)
- 1900
(明33)
- J.C.ロビンソン師とH.J.ハミルトン師、旧名古屋聖ヨハネ教会設立。名古屋市東片端町。
新潟県長岡市に伝道開始。
F.W.C.ケネディ師と大久保直作師、長野県飯田地方に伝道開始。
- 1901
(明34)
- J.C.ロビンソン師と古谷源一郎師、犬山市に伝道開始。
R.H.マギネス師、上田市に伝道開始。
柳城幼稚園設立認可。(園長ミスM.M.ヤング)
- 1902
(明35)
- J.M.ボールドウィン師と山崎友吉師、豊橋聖公会設立。
このころ、カナダ聖公会内の伝道組織である内外伝道協会(D.F.M.S.)は、宣教師5名を日本に派遣。(J.G.ウォーラー、R.H.マギネス、F.W.C.ケネディ、C.H.ショート、G.E.ライアソン)
又、カナダ教会伝道協会=カナダC.M.S.(C.C.M.S.)は、宣教師4名と婦人宣教師3名を派遣。(J.M.ボールドウィン、J.C.ロビンソン、H.J.ハミルトン、A.リー、ミス・E.M.トレント、ミス・M.M.ヤング、ミス・A.L.アーチャー)
カナダ聖公会婦人補助会(W.A.)は、1名の婦人宣教師を派遣。(ミス・S.E.メーカム)
この3つの組織を、さらに統一化する組織として、カナダ聖公会伝道協会(M.S.C.C.)が結成され、日本での伝道がいっそう強化された。
- 1903
(明36)
- 信越教役者会開催。(信越聖公会教役者・Canada Mission。長野県山田温泉)
このころ、日本聖公会に属する教会、講義所、付属施設は、愛知県下7カ所、岐阜県下19カ所、長野県下15カ所、新潟県下6カ所、合計47カ所を数えた。
- 1904
(明37)
- G.E.ライアソン師と大西狷介師と大久保直作師、高田講義所開設。
G.E.ライアソン師、長岡、新潟に伝道再開。
F.W.C.ケネディ師と曽我捨次郎師、上田聖公会設立。木曽福島に伝道開始。
- 1906
(明39)
- 聖使女学院設立。(C.M.S.女子神学校、名古屋市白壁町。1912年に兵庫県芦屋へ移転)
G.E.ライアソン師と曽我捨次郎師と小西栄三郎師、諏訪地方に伝道開始。
F.W.C.ケネディ師と大久保直作師、長岡に伝道。
新潟に伝道再開
- 1908
(明41)
- 前北東京地方部C.M.ウィリアムズ主教、アメリカへ帰国。
- 1909
(明42)
- W.オードレー主教退任。後任としてC.H.ボーフラワー師父、南東京地方部主教に按手着座。
日本聖公会宣教50年記念伝道。4月~5月
岐阜聖公会より東京に移動していたA.リー師(C.M.S.宣教師、カナダ聖公会司祭)九州地方部主教に按手着座。
- 1910
(明43)
- H.J.ハミルトン師と小久江真鉄師、一宮聖公会設立、礼拝堂聖別。
柳城幼稚園幅下分園設立。(園長ミス・M.M.ヤング)
C.H.ショート師と大西狷介師、新潟講義所開設。
牧岡鉄弥師と和久信七師、名古屋市に大池伝道館開設。(後の名古屋聖ペテロ教会)
- 1911
(明44)
- 中央本線全線開通。信越と愛岐が鉄道でつながる。5月
日本聖公会第10総会(横浜)。J.C.ロビンソン師、中部地方部設立を説く。
中部地方部設立。(決議16号、カナダより伝道主教の招請。決議17号、愛岐・信越4県を南東京地方部より分割)
カナダ聖公会伝道協会(M.S.C.C.)が、中部地方部(カナダ海外伝道教区)設立を決議。
C.H.ショート師と海保熊次郎師、長岡聖公会設立。
曽我捨次郎師、上諏訪講義所開設。
- 1912
(明45・
大元)
- 林正善師、伊那に伝道開始。
篠塚長治郎師と中沢房太郎師、田原基督教会設立。(後の渥美基督教会)
R.M.ミルマン師、三河一宮に一宮贖主教会設立。
J.C.ロビンソン師と大西狷介師、新潟聖公会設立。
C.H.ショート師と藤松榊師、高田聖公会設立。
カナダ聖公会はカナダのモントリオールで、H.J.ハミルトン師を中部地方部主教に按手。10月18日(この日が後に教区設立記念日となる)
カナダ聖公会の国内外の女性及びこどもへの伝道事業については、カナダ聖公会伝道協会(M.S.C.C.)とカナダ聖公会婦人補助会(W.A.)との協定で、この後はW.A.が責任を持つことになる。
- 1913
(大2)
- 中部地方部婦人伝道補助会が結成される。(会長ハミルトン主教夫人)
中部地方部第1回地方会開催。(名古屋)
名古屋聖ペテロ教会・福島聖公会・諏訪聖公会設立。
松本聖十字幼稚園設立。(園長ミス.E.G.レノックス)
- 1914
(大3)
- 日本聖公会第11総会(京都)。「中部地方部」という名称を公認。
水野功師と古谷源一郎師、糸魚川聖公会設立。
W.H.ゲ.ル師と林由三師、辰野聖公会設立。
柳城幼稚園大池分園設立。(園長ミス・M.M.ヤング)
W.H.ゲール師と林正喜師、上諏訪講義所開設。
- 1915
(大4)
- C.H.ショート師と森安延衛師、大西狷介師、新潟県中蒲原郡村松町に伝道開始。
林正喜師、辰野基督教会設立。
岐阜明道幼稚園設立。(園長ミス・H.M.ロビンソン)
稲荷山講義所再興(翌年、水野功師)。
- 1916
(大5)
- 新潟聖公会は新潟市西堀前通に移り新潟基督教会と改称。翌年、旧名の新潟聖公会に戻る。
- 1917
(大6)
- 旧名古屋聖ヨハネ教会、自給を決議。
J.G.ウォーラー師と牛山清四郎師、長野県飯山市に飯山聖公会設立。
- 1918
(大7)
- R.M.ミルマン師と大西狷介師、愛知県田原町に渥美基督教会設立。
- 1919
(大8)
- 豊橋小百合幼稚園設立。(園長ミス・N.F.J.ボーマン)
中部地方部青年連盟結成。
中部地方部青年大会開催。(長野県戸倉町)
- 1921
(大10)
- 小倉虞人師、新潟県中蒲原郡村松に村松聖シオン教会設立。
河合堯三師と林正義師、岡谷市に伝道開始。
- 1922
(大11)
- H.H.コーリ師と林正善師、岡谷伝道所開設。
R.M.ミルマン師、岡崎市に伝道開始。
辰野聖公会礼拝堂落成。
柳城幼稚園大池分園は移転、御器所分園となる。
- 1923
(大12)
- 日本聖公会第14総会(東京)。東京、大阪は自給し教区となる。
ヨセフ元田作之進師父が東京教区主教、ヨハネ名出保太郎師父が大阪教区主教に按手着座、初の日本人主教。
北海道、東北、北関東、横浜、中部、京都、神戸、九州の8地方部となる。
関東大震災起こる。9月
- 1924
(大13)
- 上諏訪講義所が上諏訪聖マタイ教会となる。
岡谷に竹渕静雄師定住。
R.M.ミルマン師と河口宇四次師、大西狷介師、岡崎聖公会設立。
岐阜訓盲院が岐阜県立代用岐阜訓盲院となる。
- 1925
(大14)
- H.H.コーリ師と竹渕静雄師、岡谷聖バルナバ教会設立。
林由三師、稲荷山聖公会設立。
稲荷山幼稚園開設。(園長J.G.ウォーラー師)
愛知県宝飯郡国府町に国府聖公会設立。
R.M.ミルマン師と村田里師、静岡県磐田郡浦川に浦川聖公会設立。
- 1926
(大15・
昭元)
- 新潟聖公会は新潟聖パウロ教会と改称。
高田紅葉幼稚園開設。(園長ミス・I.L.アイザック)
- 1927
(昭2)
- 日本聖公会組織成立45年記念「覚醒運動」起こる。
渥美基督教会解散。
高田聖公会が高田降臨教会と改称。
飯田線開通。
中部地方部婦人伝道補助会、「被献日」を婦人補助会記念日と決定。
- 1928
(昭3)
- ペテロ松井米太郎師父、東京教区主教に按手着座。(中部地方部岐阜聖パウロ教会出身)
岡谷聖バルナバ教会礼拝堂聖別。
柳城瑞穂幼稚園設立。(園長ミス・F.B.ホーキンス)
- 1929
(昭4)
- 日本聖公会第16総会(東京)。「日本聖公会協力伝道」決議。
広瀬与吉師、小布施に伝道開始。
- 1930
(昭5)
- 中部地方部第10回地方会、地方部設立記念日を10月18日にすることを決議。
松井米太郎主教、日本人主教として初めてランベス会議に参加。
一宮聖光幼稚園開設。(園長ミス・N.F.J.ボーマン)
長岡聖公会を長岡聖路加教会と改称。
- 1931
(昭6)
- H.G.ワッツ師と一瀬宗太郎師、新潟県三条市に講義所開設。
- 1932
(昭7)
- 小布施新生療養所落成。(所長R.K.スタート博士)
飯山復活教会礼拝堂聖別。
上田聖ミカエル及諸天使教会礼拝堂聖別。
- 1933
(昭8)
- 岡谷ハミルトン館開設(女子労働者伝道。ミス・F.B.ホーキンス、ミス・M.フォステル、近藤信子氏)
稲荷山諸聖徒教会、現在の礼拝堂聖別。
岐阜県立代用岐阜訓盲院が岐阜県立代用岐阜盲学校となる。
- 1934
(昭9)
- 中部地方部第13回地方会愛岐・信越の2伝道区を設置。
H.J.ハミルトン主教、退職しカナダに帰国。
ハミルトン舘で岡谷聖バルナバ幼児園開設。
飯田聖公会設立(木俣哲次師定住)。
新生礼拝堂聖別。
カナダ聖公会総会は、H.J.ハミルトン主教の後任に関して、日本聖公会にすべてを委任。カナダ人にせよ、日本人にせよ、聖別された主教は日本聖公会の主権にのみ従うべきであると決議。
- 1935
(昭10)
- 中部地方部第14回(臨時)地方会は、次期主教候補者数名を選出。後に、日本聖公会主教会は佐々木鎮次司祭(東京教区)を主教に選出。
中部地方部第2代主教パウロ佐々木鎮次師父、按手着座。(7月25日、旧名古屋聖ヨハネ教会)
「聖公会百姓の家」飯田市山本町に開設。(農村伝道施設、木俣哲次師)
- 1936
(昭11)
- 日本聖公会組織成立50年記念全国一致礼拝。
中部地方部第15回地方会、信越伝道区は南信・北信・上越・下越伝道区に細分される。
H.G.ワッツ師と小穴藤雄師、三条聖母マリア教会設立。
- 1937
(昭12)
- 日本聖公会組織成立50周年記念大会。(立教学院)
国府聖公会は豊橋昇天教会に合流、国府会衆となる。
- 1938
(昭13)
- 三条聖母マリア教会礼拝堂聖別。
高田降臨教会礼拝堂聖別。
中部地方部婦人伝道補助会成立25年記念誌発行。
- 1939
(昭14)
- 「宗教団体法」成立(キリスト教は新教・旧教の2教団に統合を強制される)。キリスト教会合同問題起こる。
長岡聖路加教会礼拝堂(旧)聖別。
- 1940
(昭15)
- 「宗教団体法」施行。
中部地方部第18回地方会、自給決議。
国際情勢悪化で日本聖公会外国人主教総辞職。9,10月
イギリス・アメリカ・カナダ聖公会外国人宣教師総引き揚げ、帰国。(翌年3月までに)
三条聖公会聖母幼稚園開設。
旧岐阜県立代用岐阜盲学校は、県立岐阜盲学校に移行。福祉事業のため岐阜訓盲協会設立。
- 1941
(昭16)
- 日本聖公会第20総会(東京)。従来の地方部がすべて日本人主教地方部となり、合計10地方部となる。
柳城保母養成所を柳城保育専修学校と改称。第2次世界大戦(太平洋戦争)開戦。12月
- 1942
(昭17)
- 中部教区第19回教区会、「地方部」を「教区」、「地方会」を「教区会」と改称。(岡谷)
法律的には5月31日付で教区解散。日本聖公会は、佐々木主教ほか5主教が合同に反対し、日本基督教団への加入を拒否した為、独立教団として認められず解散。教区内の各教会はすべて単立教会となり以下のとおり改称を余儀なくされた。
()内は旧名称。
愛岐では、平安教会(名古屋聖ヤコブ)、神愛教会(名古屋聖ヨハネ)、真光教会(名古屋聖ペテロ)、東光教会(名古屋聖ステパノ)、岡崎聖公会(日本聖公会岡崎)、一宮聖光教会(一宮聖公会)。
長野では、岡谷聖公会(岡谷聖バルナバ)、木曽福島聖公会(福島聖公会)、諏訪聖公会(上諏訪基督教会)、長野救主教会(長野聖救主)、上田聖公会(上田聖ミカエル及諸天使)、飯山聖公会(飯山復活)、稲荷山教会(稲荷山諸聖徒)。
新潟では、高田聖公会(高田降臨)、三条聖公会(三条聖母マリア)、長岡聖公会(長岡聖路加)、新潟聖公会(新潟聖パウロ)。
直江津救主教会、糸魚川基督教会、犬山基督教会、一宮贖主教会、村松シオン教会の5教会は廃止。
開戦後も長野市に単身残留していたJ.G.ウォーラー師も、やむなくカナダに帰国。7月
- 1943
(昭18)
- 「日本聖公会の組織は、昭和17年3月31日限り解消」と日本聖公会教務院長通告。
中部教区解消臨時教区会、解散当時認可教会21,主教1,司祭16,執事3,伝道師2,信徒数697名の記録。(神愛教会)
5月中部教区婦人伝道補助会解散総会を開く。(神愛教会)11月
- 1944
(昭19)
- 佐々木鎮次主教は東京教区主教に就任し転任。(監督会の申し合わせ事項で監督を主教と改める)
第3代中部教区主教ヨハネ大西狷介師父、按手着座。(2月2日、平安教会)
馬場町国民保育園(現聖ミカエル保育園)設立。
東南海大地震起こる。12月
- 1945
(昭20)
- 佐々木鎮次主教と須貝止主教他が憲兵隊に留置される。
J.G.ウォーラー師、3月23日カナダで逝去。
空襲で6教会焼失。(神愛、平安、豊橋、長岡、岐阜、岡崎)
第2次世界大戦(太平洋戦争)終結。8月15日
中部教区主管者会議(臨時教区会、各教会主任教役者)を開催。中部教区再組織宣言をする。(長野県湯田中)10月29~30日
再建のための日本聖公会第21(臨時)総会、立教学院で開催。聖職名の監督を「主教」と改める。12月
- 1946
(昭21)
- 名古屋聖公会を名古屋市昭和区山脇町に設立。(最初は焼け残った亀城町の瑞穂幼稚園で礼拝、広瀬与吉師)
長野聖救主教会創立54周年、J.G.ウォーラー師逝去記念伝道説教会。(説教者は八代斌助主教)5月
アメリカ・イギリス・カナダ聖公会から、日本聖公会再建使節来日。カナダ代表H.H.ワッツ司祭は、小布施で療養中の佐々木鎮次総裁主教と長野市で会談。7月
宗教法人名古屋聖公会登記完了。8月
中部教区第20回教区会、新たな中部教区運営規定を決議。10月18日を教区設立記念日とする。(松本聖十字教会)
中部教区婦人補助会結成式。(名古屋聖公会)
中部教区第2代主教(総裁主教)パウロ佐々木鎮次師父12月21日東京で逝去。
- 1947
(昭22)
- 戦後最初の復帰宣教師P.S.C.パウルス師、ミス・M.フォステル、ミス・L.M.パウエル来日。6月
戦後初の第1回教区青年大会。教区青年同盟再結成。(長野県野沢温泉)
中部教区臨時教区会で補佐主教選挙。P.S.C.パウルス師を補佐主教に選出。(松本)
10月岐阜聖パウロ教会礼拝堂を大垣から移築。
- 1948
(昭23)
- 日本基督教団に合同参加した聖職の復帰式。(東京)
補佐主教P.S.C.パウルス師父、按手。(3月18日、小布施新生礼拝堂)
柳城保育専修学校が教区の経営となる。
中部教区婦人補助会第2回総会、プレッジ(予約献金)制採用。以後、毎年開催。
教区青年キャンプ、野尻湖で開催。以後、毎年開催。
- 1949
(昭24)
- 中部教区保育会結成。
日本聖公会宣教90年記念大会開催。(京都)
中部教区第21回教区会、伝道5カ年計画、大聖堂建立の件決議。(名古屋聖公会)
岐阜訓盲院60周年記念式。
- 1950
(昭25)
- 小布施新生療養所火災で半焼。
柳城保育専修学校は、現在地名古屋市昭和区明月町に新築移転、柳城女子学院と改称。
日本聖公会第23総会。聖職名の長老を「司祭」に改める。「執事」は、そのままとする。
- 1951
(昭26)
- 大西和夫師、名古屋聖マタイ教会を設立。木島徳治師、名古屋聖マルコ教会を設立。(名古屋聖公会を名古屋市の南と北に2分)
中部教区第22回教区会。(稲荷山諸聖徒教会)
教勢刷新自給態勢確立研究委員会。(小布施)
小布施新生療養所落成。
愛盲館落成。(岐阜訓盲協会の無料宿泊施設を含む)12月
- 1952
(昭27)
- 中部教区初代主教、H.J.ハミルトン師父カナダで1月4日逝去。
中部教区第23回教区会、宗教法人「日本聖公会中部教区」設立を決議、「日本聖公会中部教区規則」制定、母教会への援助要請決議。(別所温泉)
日本聖公会全国教役者大会。(岐阜)
宗教法人「日本聖公会中部教区」設立公告。8月
第7回教区青年キャンプに70名参加。(木崎湖)
名古屋聖マタイ教会礼拝堂(旧)聖別。11月
- 1953
(昭28)
- 柳城女子短期大学設立認可。(初代学長ミス・F.B.ホーキンス)
アメリカ聖公会信徒会の会長セーヤー博士、中部教区訪問。アメリカ聖公会より資金援助されることになる。
初の中部教区信徒大会に121名参加。(名古屋)
教区青年修養会開催「基督教と社会」。(塩尻)
- 1954
(昭29)
- 中部教区第24回教区会、名古屋学生センター設立決議。
教区青年大会(教区青年会活動活発化)、信徒大会。
大西狷介主教、聖別10周年記念祝賀式(名古屋聖マタイ教会)。
名古屋市瑞穂区に弥富伝道所開設。
ミネアポリスで開催された、パン・アングリカン・コングレス(全聖公会)会議に小笠原重二司祭出席。
柳城女子短期大学開学記念式。
- 1955
(昭30)
- 大西狷介主教、P.S.C.パウルス補佐主教、高齢の故に辞任表明。
テモテ蒔田誠主教(東京教区)が管理主教となる。
全国青年連盟大会に青年220名参加。(三河三谷温泉、会長・岐阜聖パウロ教会青年会、津川曻氏)
新潟聖パウロ教会新潟大火により焼失。10月
中部教区第25回(臨時)教区会、次期教区主教を選出できず。
- 1956
(昭31)
- キャノン・デビス師カナダ聖公会海外伝道局長 日本聖公会視察のため来日。中部教区訪問。
日本聖公会第25総会。学生伝道部設置決議。
中部教区第26回(臨時)教区会、次期主教に黒瀬保郎司祭(横浜教区)を選出。
中部教区第4代主教パウロ黒瀬保郎師父、按手着座。(2月11日、主教座聖堂)
教区青年修養会でロッジ会場の床が落下して負傷者が出る。(志賀高原)
P.S.C.パウルス主教夫妻帰国。
名古屋聖マルコ教会礼拝堂聖別。
- 1957
(昭32)
- 松本聖十字教会・牧師館・幼稚園、蟻ヶ崎に移転。
岐阜聖パウロ教会牧師館新築。
名古屋学生センター開所、祝福式。(主事R.B.マッチ師、塚田理聖職候補生、顧問黒瀬保郎主教、C.H.パウルス師、細井卓氏ほか。御器所宣教師館)
松本聖十字教会礼拝堂聖別式。
新生療養所長R.K.スタート博士辞任。
- 1958
(昭33)
- 黒瀬保郎主教ランベス会議に参加。5月~11月
中部教区第28回教区会、神学生養成基金設置を決議。(松本聖十字教会)
- 1959
(昭34)
- 中部教区補佐主教P.S.C.パウルス主教、カナダのモントリオールで2月15日逝去。
日本聖公会宣教100年記念東京大会。
新潟聖パウロ教会礼拝堂再建聖別。
池の平キャンプ場ウッド記念ハウス落成。
伊勢湾台風、愛岐・長野伝道区内の教会・施設に被害。
長岡聖路加教会牧師館落成。9月26日
岐阜訓盲協会、点字図書館開設。
- 1960
(昭35)
- 岐阜訓盲協会、社会福祉法人の認可を受ける。
大江真道師、名古屋聖ヨハネ教会設立。(旧弥富伝道所、名古屋市瑞穂区白砂町)
一宮聖光幼稚園園舎落成。
名古屋学生センター落成聖別。
中部教区(準)大聖堂聖別式。12月
- 1961
(昭36)
- 長岡聖路加教会を長岡聖ルカ教会と改称、長岡聖ルカ保育園開園。
第2次室戸台風で名古屋市内の教会に被害。
D.W.アンダーソン師、相澤虹一師、鈴木光信師、横田富志子氏、直江津聖公会設立。
中部教区第30回教区会、「教区神学生の日」(降臨後第3主日)を制定。(名古屋聖マタイ教会)
- 1962
(昭37)
- 日本聖公会学生運動中央委員会発足。
中部教区報を「ともしび」と命名。
新潟聖パウロ学園幼稚園開園。
一宮聖光教会礼拝堂新築聖別。
長野聖救主教会に隣接して「新生クリニック(診療所)」開所。
中部教区成立50周年記念大会にカナダ聖公会総裁主教クラーク夫妻、M.S.C.C.海外伝道局長キャノン・デビス師が来日。(名古屋聖マタイ教会)
『教区のあゆみ』―教区成立50周年記念誌―林由三、青木岩多、林宏三郎、立川浩三編を発行。10月
日本聖公会第27総会(大阪)。教役者の定年制導入を決議。
大垣聖公会を大垣聖ペテロ教会と改称。
- 1963
(昭38)
- 直江津聖公会(伝道所)を直江津聖上智教会(伝道所)と改称認可。
中部教区第31回教区会、名古屋産業伝道センター設置を議決。(松本聖十字教会)
豊橋昇天教会チャンセル拡張聖別式。
- 1964
(昭39)
- 直江津聖上智伝道所・同幼稚園、新築祝別。
新潟地震、教会・信徒に被害。教区に対策委員会設置。6月
辰野降臨教会を移転改称し伊那降臨教会とする。
- 1965
(昭40)
- 菊田謙師、豊田市に伝道所開設、伝道開始。
名古屋聖ヨハネ教会礼拝堂聖別式。
高田降臨教会にP.S.C.パウルス主教夫妻のレリーフ建立。
- 1966
(昭41)
- 日本聖公会キリスト教学生運動(SCM)始まる。
中部教区第3代主教ヨハネ大西狷介師父、4月16日逝去。(4月27日教区葬、主教座聖堂)
中部教区第33回教区会、教区前進態勢準備委員会設置、黒瀬主教聖別10周年感謝を決議。(名古屋聖マタイ教会)
長岡聖ルカ教会礼拝堂落成。
- 1967
(昭42)
- 主教邸兼教務所落成。
名古屋学生センター10周年記念式。学生センター独自の、あるいは日本聖公会学生運動中央委員会、日本聖公会SCMの一つの拠点として活動。
教区ボーイスカウト連絡協議会結成。指導者養成講習。各教会でボーイスカウト活動活発。(松本市)
飯田聖アンデレ教会礼拝堂聖別。
- 1968
(昭43)
- 小布施新生療養所を新生病院と改称。
アメリカ聖公会スポケーン教区と姉妹教区関係になる。
日本聖公会定年制度発足、黒瀬保郎主教定年退職。
- 1969
(昭44)
- ミカエル八代斌助主教(神戸教区)が管理主教になる。
中部教区第35回(臨時)教区会、小笠原重二司祭(中部教区)を主教に選出。
中部教区第5代主教パウロ小笠原重二師父、按手着座。(5月1日、主教座聖堂)
中部教区第36回教区会、教区運営規定改訂。信濃・越後伝道区をそれぞれ長野・新潟伝道区に改称。教務所を教区事務所に改称。(名古屋聖マタイ教会)
豊田聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂聖別。
- 1970
(昭45)
- 愛知県鳴海・豊明地区、教区新伝道地区に指定される。
カナダ聖公会からの援助、内外の情勢により、名古屋学生センターを除いて打ち切り。宣教師全員帰国。
中部教区第37教区会、宣教資金制度、教区宣教5カ年計画を決議。(長野県松代町)
- 1971
(昭46)
- 名古屋学生センターの礼拝堂で主日礼拝を始める。
西原新一師が柳城女子短期大学学長に就任。
- 1972
(昭47)
- 沖縄、日本に復帰。沖縄教区発足。
塚田通生師、名古屋学生センターは教籍を持つ教区の伝道所となる。
台風16号により大垣に被害。
ミス・M.A.シェパード、カナダ聖公会婦人補助会(W.A.)最後の派遣婦人宣教師として中部教区での20年の奉仕を終え帰国。
中部教区婦人補助会第14回総会。婦人補助会を婦人会に名称変更する事を決議。(妙高高原)
中部教区第38教区会、自立基金創設、靖国神社法案に反対する要望書を送付する件決議。(名古屋聖マタイ教会)
- 1973
(昭48)
- 財政確立のための教区会計委員懇談会。(長野市)
アメリカ聖公会スポケーン教区主教ワイアット師父、3伝道区を訪問。9月
カナダ・トロントでカナダ聖公会日本宣教(A.C.ショー師渡日)100年感謝礼拝挙行。11月
- 1974
(昭49)
- 1973年度現在受聖餐者は約1500名。1月
「神学生後援会」発足。
アメリカ聖公会スポケーン教区に青少年使節団派遣。 7~8月
1975年度予算「一千万皆でやろう、頑張ろう」教務局、常置委員合同会議で承認。
- 1975
(昭50)
- 聖公会紅葉幼稚園新園舎落成、創立50周年記念礼拝。
名古屋学生センターのセミナーハウス新築落成。
教区宣教100年大会、650名参加。(名古屋聖マタイ教会)11月
リーフレット「教区百年のあゆみ」発行。
長岡聖ルカ教会礼拝堂聖別。
小笠原重二主教、定年退職。
- 1976
(昭51)
- ヨハネ大久保直彦主教(北関東教区)が管理主教となる。
中部教区第41(臨時)教区会、佐々木厚司祭を主教に選出。(後日就任辞退)2月
教会財務担当者会議、教区自立基金造成を決議。(長野市)
青少年代表団アメリカ聖公会スポケーン教区を訪問。7~8月
岐阜県に大雨、大垣・岐阜に被害。9月
中部教区第42(臨時)教区会、植松従爾司祭(横浜教区)を主教に選出。9月
中部教区第6代主教アブラハム植松従爾師父、按手着座。(11月17日、主教座聖堂)
- 1977
(昭52)
- 新生病院元所長R.K.スタート博士、来日直後に聖ルカ国際病院で5月1日逝去。
第1回教区研修会開催。(長野県白馬ラ・サンテ)
日本聖公会GFS指導者講習会開催。(愛知県犬山市)
- 1978
(昭53)
- 軽井沢基督教会を軽井沢ショー記念礼拝堂と改称。
柳城女子短期大学附属豊田幼稚園設立。
新潟地方集中豪雨で直江津聖上智教会、三条聖母マリア教会被害。6月
渋川良子伝道師、執事按手式。日本聖公会初の女性聖職。(松本聖十字教会)9月
- 1979
(昭54)
- 「教区自立基金」募金目標額達成1千万円。
教区婦人大会開く(妙高高原)。以後、隔年に開催。
第3回教区研修会開催「教会(わたし)は今、何ができるか」。(長野聖救主教会)
全教区からの募金で池の平キャンプセンター改修完了。
- 1980
(昭55)
- アメリカ聖公会スポケーン教区から13名の訪問団。
伝道区で一斉に教区研修会開催「より生き生きとした宣教協働体になるために、私に何が出来、私は何をすべきか」
『日本におけるカナダ人の伝道』中部教区史料叢書第1集J.Gウォーラー著、大江真道訳、発行。
第18回教区婦人会総会、中部教区婦人会史編集を決議。婦人大会毎年開催を決定。(飯綱高原)
中部教区第46教区会、管財委員会設置を決議。(松本聖十字教会)
- 1981
(昭56)
- 新潟4教会と飯山復活教会豪雪で被害。2~3月
岐阜明道幼稚園廃園。
中部・横浜教区合同教役者研修会「両教区の協働を求めて」。(軽井沢)
直江津伝道所(補修)祝別式。
補修直後の直江津伝道所台風15号により浸水被害。8月
教区研修会は共通テーマ「より生き生きとした宣教共同体になるために」、各伝道区で開催。9~10月
直江津伝道所は再出発し、教籍をおき、直江津聖上智伝道所とすることを認可。(林宏三郎師)
- 1982
(昭57)
- 『カナダ聖公会・宣教団の伝道』中部教区史料叢書―第2集教区青年キャンプ、中高生クラス開設「洗礼について」。(池の平)7~8月
新生病院創立50周年、R.K.スタート博士胸像除幕式。中部教区第48教区会で各個教会法人を解散し、教区に合併することを決議。(名古屋聖マタイ教会)
松本聖十字幼稚園が、(学校法人)聖十字学園 聖十字幼稚園となる。
- 1983
(昭58)
- 西アフリカ聖公会ガーナ・クマシ教区に自動車を送る募金開始。
『中部教区婦人会70年史―1913年~1983年―』日本聖公会中部教区婦人会編、発行。
教区研修会は各伝道区共通テーマ「地域に仕える神の教会・僕としての教会」で開催。(新生病院、菰野聖十字の家で奉仕活動の実践)
中部教区第49教区会、沖縄セミナー実施、新生病院医療法人化を決議。(長野聖救主教会)
西アフリカ聖公会ガーナ・クマシ教区に自動車発送。
- 1984
(昭59)
- 名古屋聖マタイ教会聖堂改修完了記念礼拝。1月
名古屋笹島日雇い労働者越冬問題で聖公会信徒ら2名を含む3名逮捕される。裁判を通してホームレスの人たちへの関心が広がった。
各伝道区で歴史セミナー。4~6月
信越・愛岐で沖縄セミナー開催。5~7月
中部教区第50教区会、名古屋学生センター改築計画案承認。(名古屋聖マタイ教会)
教区婦人会第20回総会開催「沖縄を学ぶ」。
稲荷山幼稚園が、(学校法人)聖十字学園 稲荷山幼稚園となる。
高田紅葉幼稚園が、(学校法人)聖公会紅葉幼稚園となる。
聖上智幼稚園が、(学校法人)聖公会学園 聖上智幼稚園となる。
三条聖公会聖母幼稚園が、(学校法人)聖公会聖母学園 聖母幼稚園となる。
- 1985
(昭60)
- 直江津聖上智伝道所礼拝堂兼牧師館大改修落成記念式。
一宮聖光幼稚園が、(学校法人)聖公学園 一宮聖光幼稚園となる。
「教区史研究―第1号―」教区歴史編集委員会編、発行。
伊那降臨教会は岡谷聖バルナバ教会に合併。
各伝道区で教区研修会開催。
中部教区第51教区会、外国人指紋押捺制度反対決議。
新生病院新病棟落成式。
- 1986
(昭61)
- 名古屋学生センターを新築、落成式。
沖縄スタディ・ツアー開催。
中部・沖縄教区合同教役者研修会開催。(沖縄)
教区部落差別研修会開催。(名古屋学生センター)
教区研修会開催、教区内統一テーマ「わたしたちを平和の器にしてください」。(各伝道区)7~9月
中部教区第52(臨時)教区会、植松従爾主教定年。次期主教を選出できず。
中部教区第53教区会「沖縄の日」設定決議。
アメリカ聖公会前総裁主教アリン師父説教「核兵器と平和」(名古屋聖マタイ教会)
- 1987
(昭62)
- セント・ジョージ八木成之主教(京都教区)が管理主教となる。
中部教区第54(臨時)教区会、法用渉司祭(京都教区)を主教に選出。
中部教区第4代主教パウロ黒瀬保郎師父1月27日逝去。(3月17日教区葬、主教座聖堂)
中部教区第7代主教サム工ル法用渉師父、按手着座。(3月28日、主教座聖堂)
日本聖公会組織成立百年記念大礼拝。(大阪)5月
沖縄の日(沖縄慰霊の日、6月23日に直近の主日)。
各伝道区代表と聖職者による教区研修会開催。(松本)
中部教区第55教区会、宣教推進委員会、「海外協働の主日」、「部落解放の日」、設定を決議。(名古屋聖マタイ教会)
直江津聖上智伝道所は直江津聖上智教会として認可。
- 1988
(昭63)
- 部落解放の日(3月3日に直近の主日)。
移転新築した三業聖母マリア教会礼拝堂、聖公会聖母幼稚園園舎落成。
海外協働の日(使徒聖ペテロ・使徒聖パウロ日6月29日に直近の主日)。
法用渉主教ランベス会議に参加。7~8月
第5回教区部落差別研修会。(高田降臨教会)
中部教区第56教区会、伝道の強化と財政基盤の確立、「名古屋開拓伝道の日」設定を決議。(名古屋聖マルコ教会)
- 1989
(昭64・
平元)
- 『先達たちのあしあと』(教区人物誌、教役者篇1)中部教区史料叢書―第4集―教区歴史編集委員会編、発行。
第6回沖縄セミナー開催「教会にとって『天皇制』とは何か」。(名古屋学生センター)
社会、協働委員会主催「教会と社会」セミナー開催。(安曇野)
日本聖公会とカナダ聖公会の宣教協働協議会開催。(カナダのバンクーバー)9月
教区研修会開催「伝道活動のリニューアル(刷新)」。(松本市)
中部教区第57教区会、沖縄セミナーの継続を決議。(名古屋聖マタイ教会)
- 1990
(平2)
- 教区宣教推進委員会11部会部会長会開催。(名古屋学生センター)
中部教区伝道所を名古屋聖ステパノ教会として認可。
日本聖公会第42総会。女性聖職の実現を検討する委員会設置を決議。(名古屋聖マタイ教会)
「第2回近代史講座」協働委員会主催。(名古屋聖ヨハネ教会)
軽井沢ショー記念礼拝堂、牧師館増改築感謝礼拝。
教区青年ワークキャンプ開催。(福島教会)
日本聖公会GFS指導者講習会開催。(妙高高原)
第3回教区研修会開催「伝道活動の刷新大韓聖公会宣教100年記念式典に、法用渉主教ほか参列。(ソウル)
岐阜聖パウロ教会創立100年記念礼拝。
教区婦人会第23総会「豊かさを問い直す」。(名古屋市)
中部教区第58教区会、バングラデシュ派遣の石田医師支援を決議。(名古屋聖マタイ教会)
尾張旭市に中部教区伝道所設立認可。(後の愛知聖ルカ教会/愛知聖ルカセンター)。5月よりすでに伝道開始。管理・法用渉師父、専任・R.A.メリット師。
- 1991
(平3)
- 中部教区第5代主教パウロ小笠原重二師父2月8日逝去。(4月15日教区葬、主教座聖堂)
女性司祭の実現を促進する委員会。(長野聖救主教会)
愛盲館50周年感謝の集い。(岐阜)
中部教区韓国研修団研修旅行。
教区礼拝奉仕者研修会。(軽井沢)
教区研修会「福音伝道の10年」。(松本市)
中部教区第59教区会、初の女性総会代議員選出。(名古屋聖マタイ教会)
一宮聖光教会宣教100年記念礼拝。
- 1992
(平4)
- R.A.メリット師が柳城女子短期大学学長に就任。
中部教区・ソウル教区交流委員会。(名古屋市)
教区財政基盤確立を考える委員会。(教区事務所)
広島平和学習旅行。
教区青年ワークキャンプ開催。(飯山復活教会)
パトリック・インネスヒル宣教師夫妻来日。イギリス聖公会宣教協会(C.M.S.)
中部教区第60教区会、初の女性常置委員選出。(名古屋聖マタイ教会)
- 1993
(平5)
- 女性聖職(渋川良子執事)による初の洗礼式。(飯山復活教会)
中部教区代表、大韓聖公会管区成立式典に参列。(ソウル)
教区青年キャンプ開催「環境を考える」。(長野県長谷村)
教区伝道担当者研修会「伝統的な家庭集会、地域集会を目指して」。(長野県戸倉町)
中部教区第61教区会、女性司祭実現のための議案を日本聖公会総会に提出する件決議。(名古屋聖マタイ教会)
- 1994
(平6)
- 中部教区伝道所が愛知聖ルカ教会/聖ルカセンターとなる。
カナダ聖公会派遣宣教師ネルソン・ブン司祭名古屋聖マタイ教会副牧師になる。
教区の活性化を考える委員会。(名古屋学生センター)
聖ミカエル保育園50周年記念式。(上田)
フィリピン・スタディツアー開催。
教区研修会「福音理解の再確認」。(飯綱高原)
中部教区第62教区会、宣教事業委員会設置。(名古屋聖マタイ教会)
- 1995
(平7)
- 阪神淡路大震災、教区からも聖職・信徒の有志が救援活動。1月
韓国ソウル教区代表と教区交流計画協議。
愛知聖ルカ教会/聖ルカセンター落成献堂式。
中部・ソウル教区姉妹関係協約書調印式。(ソウル)
直江津聖上智教会礼拝堂聖別式。阪神こどもキャンプ(被災児童の心のケアー)。(長野県長谷村)
日本聖公会95宣教協議会「日本聖公会の宣教中部教区第63教区会、日本聖公会の戦争責任に関する件議決。ソウル教区代表が参加。(名古屋聖マタイ教会)
ソウル教区オモニ連合会長と教区婦人会の懇談会。(名古屋聖マタイ教会)
- 1996
(平8)
- 阪神淡路大震災被災地のこどもたちと「雪だ!わーいキャンプ」開催。(岐阜県日和日高原)
日本聖公会第49総会。中部教区も提出者となった日本聖公会の戦争責任に関する件決議。(東京)
柳城女子短期大学は、法人名を柳城学院、校名を名古屋柳城短期大学と改称。
中部教区代表、大韓聖公会ソウル教区大聖堂落成式に参列。(ソウル)
教区研修会「日韓の歴史に学ぶ」。(長野県豊科町)
教区婦人会第26回総会、ソウル教区オモニ会員参加。(名古屋聖マタイ教会、カトリック研修センター)
教区礼拝音楽研修会。(岡谷聖バルナバ教会)
中部教区第64教区会、代表教会委員制度の導入決議。(名古屋聖マタイ教会)
- 1997
(平9)
- 阪神淡路大震災被災地のこどもたちと雪あそびキャンプ、大阪教区と共催。(岐阜県日和田高原)
新生病院ホスピス病棟落成感謝式。「視覚障害者生活情報センターぎふ」(愛盲館改称)新築落成式。(法人名 岐阜アソシア)
法用渉主教、健康上の理由で11月末の退職を表明。6月
名古屋学生センター40周年記念礼拝。設立、運営、指導に功績のあったカナダ聖公会C.H.パウルス司祭、R.B.マッチ司祭、V.I.ゴーリング司祭の、各ご夫妻出席。名古屋学生青年センターと改称。
日本聖公会第16同部落解放セミナー開催。(松代、長野聖救主教会)
教区研修会「信徒と教役者の協働」。(飯綱高原)
豊橋昇天教会創立100年記念礼拝。
中部教区第7代主教サムエル法用渉師父、10月24日逝去。(10月28日教区葬、主教座聖堂)
バルナバ武藤六治主教(京都教区)が管理主教となる。
中部教区第66(臨時)教区会で森紀旦司祭(京都教区)を主教に選出。(名古屋聖マタイ教会)
- 1998
(平10)
- 名古屋笹島野宿労働者の支援者、逮捕事件。
冬季長野オリンピック開催。2月
中部教区第8代主教フランシス森紀旦師父、按手着座。(3月7日、主教座聖堂)
国際子ども学校開校(名古屋学生青年センター主催、愛知聖ルカ教会/聖ルカセンター内)。
長野聖救主教会聖堂聖別100年記念礼拝。
日本聖公会第51総会。女性司祭按手を認める決議。5月
森紀旦主教夫妻、ランべス会議に参加。7~8月
教区青年の集い「食卓からのわかちあい」開催。(東京教区と共催、野辺山)
教区研修会「森紀旦主教を囲んで、ランベス会議報告」、教区の宣教の活性化に向けて。(飯綱高原)
名古屋柳城短期大学創立100周年記念礼拝。(名古屋聖マタイ教会、名古屋国際ホテル)
ソウル教区会に森紀旦主教ほか参加。(ソウル)
大韓聖公会車璟恵司祭、大垣聖ペテロ教会嘱託司祭になる。中部・ソウル両教区交流委員会開催。(名古屋)
マーガレット渋川良子師、司祭按手式。日本聖公会初の女性司祭。(名古屋聖マタイ教会)12月
教区召命黙想会。(新生礼拝堂)
- 1999
(平11)
- 中部・ソウル両教区姉妹交流関係終了感謝礼拝。(ソウル教区大聖堂)
松本聖十字教会創立100年記念礼拝。
池の平キャンプセンター(ウッド山荘)閉所式。
教区研修会「私たちの日常を持ち寄る礼拝」。(飯綱高原)
中部教区第68教区会、代表教会委員制度の継続決議。(名古屋聖マタイ教会)
柳城幼稚園創立100周年記念礼拝。(名古屋聖マルコ教会)
- 2000
(平12)
- 代表教会委員及び会計担当者の集い。
名古屋柳城短期大学附属三好丘聖マーガレット幼稚園設立。
教区研修会「21世紀におけるわたしたちの宣教と礼拝」。(飯綱高原)
東海地方集中豪雨。ホームレスの人々を中心とした被災者への支援活動。10月
上田聖ミカエル及諸天使教会、長岡聖ルカ教会、宣教100年記念礼拝。
中部教区第69教区会、主教座聖堂規則制定を決議。稲荷山幼稚園改築を承認。(名古屋聖マタイ教会)
- 2001
(平13)
- 「教区フェスティバル~平和への巡礼(たび)in21」開催(10月7~8日)。青年達による「十字架の巡礼」が行われる。
- 2002
(平14)
- 飯綱高原にて、教区成立90周年記念講演会・礼拝が行われる。塚田理司祭による講演、ブルース・マッチ司祭、ミス・ベンズなど来会。10月13~14日
太田国男執事を迎えて、名古屋柳城短期大学や各伝道区にて、ハンセン病回復者の方々の人権についての講演会。7月~8月
- 2003
(平15)
- 教区事務所、名古屋聖マタイ教会に隣接の民家に仮移転。4月
第73(定期)教区会、「中部教区センター建設委員会」を設置。11月24日
- 2004
(平16)
- フィリピン聖公会北中央教区と宣教協働関係締結。2月25日
豪雨により三条市周辺に被害。7月13日
新潟県中越地震(10月23日)。11月にオープンスペース設置、支援活動を行う。
- 2005
(平17)
- 新潟で教区宣教130周年記念行事が行われる。9月23~24日
山古志サマーキャンプ開催。
第75(定期)教区会、「憲法改定に対応するプロジェクト・チーム(仮称)」設置、「平和を祈念する宣言(2005年平和宣言)」「中部教区センター建設及び主教座聖堂(名古屋聖マタイ教会)改修の件」決議。11月23日
- 2006
(平18)
- 北関東教区と合同教役者会。5月31日~6月1日
山古志村に第2次オープンスペース開始。2月20日
第76(定期)教区会、「教区の組織案について試行することを承認する件。」11月23日
- 2007
(平19)
- 教区センター落成式が開催される。3月21日
「軽井沢ミッション」が教区の組織に位置付けられる。4月
- 2008
(平20)
- オープンスペース終了。3月29日記念式、30日感謝礼拝
森主教、ランベス会議に出席。7月16日~8月3日開催
「2008年中部教区宣教方針」が出される。教区会に議案を提出せず、運営会議報告に含め、今後検討していくこととする。10月
- 2009
(平21)
- 森紀旦主教、9月末より休養に入る。12月末退職。サムエル大西修主教(大阪教区)が管理主教となる。
日本聖公会宣教150周年記念プログラムと記念礼拝が行われる。(東京、9月22・23日)
第81(定期)教区会、可児伝道所設立承認。11月23日
- 2010
(平22)
- 中部教区第9代主教渋澤一郎師父、按手着座。2月11日
主教書簡が出される。7月
教区宣教会議が行われる。9月4日
第82(定期)教区会、「日本聖公会中部教区運営規定改正の件」を決議。総主事と宣教局・総務局・事業局からなる運営会議体制となる。11月23日
- 2011
(平23)
- 東日本大震災(3月11日)・福島原発事故が起こる
「いっしょに歩こう!プロジェクト/中部」設置。7月
- 2012
(平24)
- 日本聖公会第59(定期)総会にて、「原発のない世界を求めて~原子力発電に対する日本聖公会の立場」が決議される。5月22日~24日
「2012年日本聖公会宣教協議会」開催。「日本聖公会〈宣教・牧会の十年〉の提言」が出される。9月14~17日
教区成立100周年記念感謝礼拝が行われ、約400名の参加。植松誠首座主教、カナダ聖公会首座主教フレデリック・ヒルツ大主教、フィリピン聖公会北中央教区ジョエル・パチャオ主教、大韓聖公会ソウル教区金根祥主教ら参列。10月8日
第84(定期)教区会、中部教区基金造成のための募金を決議。11月23日
- 2013
(平25)
- 「教区基金造成募金プロジェクト」が設置される。4月より募金開始
「いっしょに歩こう!パート2」、支援センターしんちを中心に活動継続。
- 2014
(平26)
- 長野の各教会に豪雪被害。2月
第86(定期)教区会、「すべての原子力発電所再稼働に反対する件」決議。11月22日
- 2015
(平27)
- 山古志サマーキャンプ、(東日本大震災後の「福島・山古志ジョイントキャンプ」を経て)「感謝の集い」を行い、活動終了。8月5日
第87(定期)教区会、フィリピン聖公会北中央教区との宣教における協働関係の締結延長を承認、特定非営利活動法人「可児ミッション」(案)の設立を承認。「沖縄の日」継続が否決される。11月23日
- 2016
(平28)
- 「特定非営利活動法人可児ミッション」保育事業の開始。4月(翌2017年3月に活動終了)
拠出金制度改革プロジェクト開始(4月より)。
第88(定期)教区会にて「沖縄の日」設置を決議。11月23日
- 2017
(平29)
- 中部教区宣教会議2017開催。9月17・18日
第89(定期)教区会「中部教区ヴィジョン2017」を今後5年間の宣教方針とすることを承認。11月23日
「いっしょに歩こう!プロジェクト/中部」による原発問題講演会が開催される(11月~翌2018年7月、全5回)